やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

我が国の議会制度

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昨今の国会論議を観ていると、つい「こんな議論を続けていいのか?」などと言う疑問が良く頭にもたげてきます。
同じ事を考える人は私以外にもたくさんいるようで、中には、世間がリストラにもまれるような時代だから、役に立たない議員の定数を減らすべきだという意見を述べる人も散見出来ます。

しかし、私はその意見には賛成出来ませんね。

理由は3つあります。

一つは、人口の割には我が国の国会の議員定数が少ないという点です。
意外に思われる人もいらっしゃるとは思いますが、世界各国と比較しても我が国の議員定数は決して多くはありません。むしろ、今よりも格段に増やす必要さえあります。(疑問に思われる方は、ネット上の統計などを参照すればおわかりになると思います。)

次に、我が国が「中央集権国家」であるという点です。
確かに、戦前に旧内務官僚が独占してきた知事職は戦後民選となりましたが、廃藩置県以来の都道府県の行政区画は、多少の呼称の変更こそ有りはすれ、全く変わることなく今日へと至っています。
更に、国は地方交付税交付金や国庫支出金などといった地方への「財政支援」によって、戦後も一貫して地方への「統制」を続けており、こう言った点からも地方自治というのは現在も完全には確立していないというのが現在の実情であると思います。
こう言った地方統制も含めて国家が極めて広範囲な統治権を有している限り、その事を議論すべき議員の数が多くなるのは自明の理だと思います。

最後に、寡頭政治の防止の必要性です。
議員定数を少なくするということは、それだけ民意を汲み上げるパイプを減らすということです。そのことは結果として議論の幅を狭くする結果となり、そして最後には独善的な政策が生まれる危険性さえ孕んでいます。
少数による議論は、確かに議論のスピード化を促すのかもしれませんが、一方で上記のような危険を持っていることも覚えておく必要があると思います。

では、どうすればいいのか?
それは、国会議員の議論する項目を減らすことです。

具体的に言えば、地方分権を更に進めて強力な地方行政区を作り、国土開発などの権限を委譲し、外交、国防と言った大局的な事柄については国家が受け持つという体制を構築することです。いわゆる、道州制や連邦制と言った考え方ですね。
議論する項目が減れば、自ずから議論する人間も減らせる道理だろうと思います。
また、従来の参議院連邦議会として各地方間の利害の調整にあたり、衆議院が国民議会として主要な議論をするという考え方も面白いと思います。
どっちにしろ、一つの国家が一億人超の国民と世界有数の経済を支配するといったこと自体に限界が来ていると私なんかは思うわけです。

まあ、ここまでするにはむろん憲法の改正が必要になると思いますが。
何にせよ、本気で改革を考えているのなら、小手先の延命策などでは駄目で、徹底的にやる必要があるではないでしょうか。