やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

風雲児たち幕末編・2

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今日発売されていたので、早速購入してきました。

 

吉田寅次郎の号「松陰」が、実は高山彦九郎の諡(おくりな)から来ていたとは知りませんでした。

知らない方に説明しますと、高山彦九郎とは林子平蒲生君平と並ぶ寛政の三奇人の一人で、いわゆる勤王家の先駆者として知られています。(京都の三条大橋で彼の銅像を見た人もいらっしゃるかもしれません)寅次郎は彼の勤王精神を継承したいがために「松陰」の号を使ったのでしょうね。

ところで、その同じ三奇人の一人、林子平も幕末の外交に大きな影響を与えています。彼が著した書物としては海国兵談が有名ですが、もう一つ三国通覧図説というものがあり、この書物のおかげで我が国は小笠原諸島アメリカに奪われるという危機から救われたわけです。このエピソードについては、もう風雲児たちの外伝的作品・雲竜奔馬では語られていますが、幕末編の方でも改めて触れられるかもしれませんね。

 

後、長州藩吉田寅次郎会津藩に立ち寄って、会津藩士と国防について意見を交換していたというのも驚きでした。

のちに不倶戴天の仇敵同士となり、現在に至るまでその影響が残っている長州(山口)と会津(福島)ですが、暖かい交流があった時期もあったのですね。その後の流転と重ね合わせて、改めて歴史の流れの無情さを感じてしまいますね。