やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

近鉄石切駅周辺の旧大阪電気軌道の遺構を見に行ってきました

いつでも行けると思ってしまうのか、近くの旧跡や遺構にはあえて行くことは少なかったのですが。
たまたま、近所の旧跡や遺構をめぐる機会があったので見に行ってきました。
今回は、旧大阪電気軌道(大軌、現近畿日本鉄道)の遺構について書いてみようと思います。

まずは、近鉄石切駅の北にある旧生駒トンネル。
両側にあるのは旧孔舎衛坂(くさえざか)駅。
開業当初は日下(くさか)駅という名前だったのですが、その後、近くにある鷲尾山興法寺にちなみ鷲尾駅へ改称。
皇紀2600年を迎えた昭和15年に、神武東征の戦いの舞台になった孔舎衛坂と比定された場所が近くにあることから孔舎衛坂駅へと再び改称されています。
ホームは延長された跡を見ることができ、年月を経て車両の編成が増えていった過程がうかがえます。
この旧孔舎衛坂駅は、駅の手前にあった鷲尾トンネルを開削して現石切駅が設置されたことと、現生駒トンネルへの路線変更により昭和39年に廃止されました。

旧生駒トンネル入口。
手前の水たまりは雨水ではなく地下水が漏れ出ているものです。
トンネル工事中はこの湧水に悩まされた上、落盤事故で100名以上が生き埋めになるなど、難工事だったそうです。
昭和39年の現生駒トンネルへの路線変更で放置されたままでしたが、近鉄けいはんな線の敷設にともないトンネルの生駒駅側が拡幅再利用されて現在に至っています。
トンネルへの道が舗装されているのは、けいはんな線のトンネル工事の際に資材搬送路として利用された名残りです。
湧水により落盤などの危険性があることから、この大阪側のトンネルを埋めるべきとの意見があるそうですが、鉄道遺構好きとしては遺してほしいですね。

近くの称揚寺の境内には、旧生駒トンネル工事犠牲者の招魂碑がありました。
前述の旧生駒トンネルの落盤事故で犠牲になった23名を追悼するために建立されました。
碑の裏には犠牲者のお名前が刻まれており、その中にはトンネル工事に携わっていた3人の朝鮮人労働者の名前も刻まれています。

多くの犠牲を出した上に莫大な公費がかかったため、その後の大軌の経営にも悪影響を与えた旧生駒トンネルですが、このトンネルの開通により大阪奈良間が短時間で結ばれることになり、沿線の開発が大いに進んだのは、その後の歴史が示している通りです。
ここにトンネルを掘るという、当時としては途方もない計画に挑戦した、そのチャレンジ精神にはただただ感嘆するばかりですね。
次回は、孔舎衛坂をキーワードに神武東征などに関わる歴史上の旧跡を訪ねてみたいと思います。