今日は東大阪市の北西にある旧鴻池新田会所に行ってきました。
東大阪市に住んで5年以上経つのですが、近鉄奈良線沿線以外はまだまだ行ったことがないところが多いです。
市内の南北の移動はほとんどバスに頼らないといけませんし、車を持っていませんし。
早くモノレールが延伸されないかなあと思っています。
会所はJR学研都市線鴻池新田駅のすぐ近くにあります。
ただ、入口が南側にあるので、駅を降りてから南側に回り道をする必要があります。
周辺はマンションや一戸建てが立ち並ぶ住宅地でしたが、入口近くに行ってみると急に別世界が広がりました。
会所は周濠で囲まれています。
北側は現存しません。
浪速鉄道(現JR学研都市線)が敷設された際に埋め立てられたそうです。
会所のメインの建物である「本屋」に入ってみました。 大きなカマドがたくさんありました。
湯気が立っていたので、今でも普通に使えるようですね。
「本屋」の東側には立派な庭園がありました。
かつては「本屋」から庭園と生駒山双方の風景が見えたそうですが、今ではビルに囲まれてしまい、生駒山は見えなくなっています。
敷地内の北西にある乾蔵で、鴻池新田造成の立役者である鴻池家寄贈の民具が展示されていました。
江戸時代に行われた幕府による大和川付け替え普請のあと、中河内一帯を流れていた旧大和川や新開池、深野池などが埋め立てられ、たくさんの新田が誕生しました。
中でも新開池の大部分を埋め立てて、この時最大の新田を造成したのが、当時大名貸しで財をなし、大坂有数の大商人だった鴻池善右衛門家で、その功により「鴻池」新田と名付けられました。
ちなみに鴻池家の祖先は、尼子家旧臣で最後まで毛利家と戦ったあの山中鹿之介(幸盛)だそうです。
展示の中で特に目を引いたのがこの半纏でした。
鴻池銀行とあるので明治期のものですね。背中には鴻池家の商標の山上紋が見えます。
ちなみに鴻池銀行は、三十四銀行、山口銀行と合併して三和銀行となり、今では三菱UFJ銀行になっています。
明治時代の高札も展示されていました。
堺県時代のものです。
大阪府に編入されるまでは、鴻池新田があった若江郡は堺県の一部でした。
会所の北側にある船着場。
周濠は周囲の井路と呼ばれた水路を通じて寝屋川に通じており、舟で大坂などに米や綿(河内木綿)などを運んでいました。
綿が生産されたのは、川床などから造成された新田が綿の栽培に適していたからです。
大和川で使われていた剣先船由来の小型の川舟が使用されていたようです。
会所の表長屋門を撮影。
こうして見ると、まるで武家屋敷のようにも見えます。
実際にこの会所へ年貢米などが集められ、管理費用を差し引いて一括して幕府に納付されていたそうです。
帰りにJR学研都市線鴻池新田駅を撮影。
この駅は明治45年4月に鴻池家が土地と建設費を負担して建設したということが、平成22年にまとめられた図録(PDF)の中に記載されています。
いかにも、かつて日本一とも称された豪商鴻池家らしいエピソードだと思いました。
駅の向かいに三菱UFJ銀行鴻池新田支店がありました。
もとは鴻池銀行の支店で、かつては会所の中にありましたが、浪速鉄道敷設を機に今の場所に移転したそうです。
ちなみにこのビルは、今でも「鴻池ビル」と言うそうです。
家に帰る途中に、久しぶりに鶴橋風月の本店で夕食にしました。
改装されてきれいになっていてびっくりしました。
まずは、塩レモン鶏そばが新メニューで載っていたので早速注文してみました。
あっさりしていてとても美味しかったです。
もちろん定番の風月モダンも注文しました。
久しぶりに風月のたまご麺を堪能。
やはり美味しかったです。