私が戦後の我が国の政治家で、五本の指に挙げることの出来る人物の一人が、かの石橋湛山氏です。
戦前から東洋経済新報社のリーダーとして、軍部に対する批判を繰り返してきた硬骨漢として有名なリベラリストだったんですが、首相在任中に病気で倒れられた時の鮮やかな身のひき方でも有名な方ですね。
ただ、氏にとっても我が国にとっても不幸であったのが、戦中においても軍部に対して批判を繰り返した人物であるのに、戦後アメリカ政府からは、右派的な政治家であると誤解を受けたことですね。歴史にifは無いとよく言われますが、もし氏が戦後の早い時期から手腕を発揮されていれば、我が国はもっと中庸で穏健な政治体制をとっていったのでないかと思うのです。
最後に、氏が二カ月で首相を辞任する時にしたためた書面を書きたいと思います。
「私は新内閣の首相としてもっとも重要なる予算審議に一日も出席できないことがあきらかになりました以上は首相としての進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従います」
どこかの政治家に聞かせてやりたい文言ですね。