先日買った歴史群像の書評欄に載っていて、ちょっと魅かれるところがあったので購入。
ハプスブルクをつくった男というタイトルからして、私も含めてたいていの人は、13世紀にローマ王となりハプスブルク王朝の端緒を開いたハプスブルク伯ルドルフ1世を想像されるかもしれませんが、この本の主人公は、実はルドルフ1世の曽孫で建設公と称されたオーストリア公ルドルフ4世だったりします。
1308年のアルプレヒト1世の暗殺から1440年のフリードリヒ5世(ローマ王としては3世)のローマ王即位までのハプスブルク家は、長い歴史を誇る同家の中でもとかく影が薄い時代なのですが、ケルンテン公領・ティロル伯領の獲得や既に獲得していたオーストリア公領・シュタイエルマルク公領・クライン公領の足固めがこの時期に行なわれており、言い換えればその後のハプスブルク家雄飛の下地がこの時期になされてたりします。
特にルドルフ4世は建設公の綽名の通り、ウィーン大学や聖シュテファン大聖堂の建設など現在のウィーンの基礎を造った人物であり、その破天荒とも思える対外政策により金印勅書で定められた選帝侯で無いにも拘らずハプスブルク家を他の選帝侯家と同格に押し上げたりもしています。
その破天荒ぶりは、この本を読んでもらえれば大いにわかると思います。
ただ、私が本書で注目したのは、主人公のルドルフ4世ではなくて、彼の父で賢公と称されたオーストリア公アルプレヒト2世だったりします。
無理な外征策をとらずにオーストリア・シュタイエルマルク・クライン・ケルンテンの四公領の内政に力を注ぎ、ベーメンのルクセンブルク家とバイエルンのヴィッテルスバッハ家という対立する二大勢力の間に立ってパワーバランスを巧みに維持するなど、平和政策を基調とした統治を行ないオーストリアを富裕領邦に育て上げた名君です。
特筆すべきは、田中芳樹氏のバルト海の復讐でも書かれている通りユダヤ人の保護政策を取ったことで、度重なる旱魃や疫病の蔓延により各地でユダヤ人への迫害が広がる中で毅然とした保護措置をとり、ユダヤ人に代表される経済ネットワークの保護に努めたりもしています。
いわばルドルフ4世は、穏健な父公が築き上げた遺産によって大事業を行ない得たわけで、この辺りは後世のプロイセン王国の吝嗇家の兵隊王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の遺産をそっくり受け継いだ大王フリードリヒ2世を彷彿とさせるかなと思います。
まあ、その遺産をフリードリヒ大王と同様に有意義に利用したこと自体もルドルフ4世の才覚の現れでしょうけどね。
目立たない時代を扱った書物でしたが、なかなか面白く読むことが出来ました。