当然ながら、宗教を蔑視する意図は全くありません。
この種の俗説は、ただ単に「信じたいことを信じる人々」に迎合しているだけでしかないと思います。
表現規制や言葉狩りにも見られることですが、この種のトンデモ学問を必要とする人々も多いんですよね。いわゆる、自分自身では子供たちに納得のいく説明が出来ないので、権威という「外圧」によって子供たちを押さえつけようとする人々。
それが当の子供たちだけに影響が及ぶだけならば、単なる家庭の事情ですが、それを社会全体に布教しようとするお節介な人たちもいるんですよね。
だからこそ、そのニーズに応えようとする商売人的な学問も成立するのかもしれません。
学問自体に裏付けが必要なのは当然のことです。
それが無ければ、幾つかの都合の良い事例だけをピックアップして、我田引水的な学説を唱えることも可能ですから。
それを防ぐために、学説に対して裏付けに基づいた反論の機会を与えるのは当然ですし、それに対する再反論などを通じて、科学的視点というものは発展していくはずです。
それを許容しない学問というのは、浅学と謗られても仕方がないと思いますね。