政治的なリーダーシップと独裁との違いは、国民の支持を失えば大人しく下野出来るかどうかの違いだと思います。
前者は一定の政治的役割を終えたと感じたら大人しく下野する一方で、独裁は国民の支持などをお構い無しに自分の信念を貫いて国民に災厄をもたらします。
この後者の独裁の事例は、過去の歴史においても枚挙に暇がありません。
個人的に危惧するのは、このような独裁待望論が出てくる時というのは、決まって政治的混迷が長く続いている時だということです。
古くは共和制ローマしかり、王制廃止後のフランスしかり、そして、ワイマール共和制時代のドイツしかり。
戦前の我が国においても、普通選挙下における政友会と民政党の二大政党間の政争が、軍部の台頭を招いたという事実は忘れてはならないと思います。
その根底にあるのは、民衆の「怠慢」なんですよね。
自分たちにその混迷を解決する能力が無いから、結局は能力のある指導者に全権を委ねてしまう。
そこを権力者につけこまれてしまう訳です。
民主主義下においては、他者に全権を委ねることがどれほど危険であるのか。
その事を是非、多くの人にこれまでの歴史を通じて知っておいて欲しいと思います。
一人のリーダーの優れた考えよりも、多くの人々の平凡な考えこそを大切にして欲しいと、一人の民主主義原理主義者としては思います。