やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

受け手の度量が問われる事例かと

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もちろんフィクションなお話なのですが、twitter界隈では本気にする人が続出して一騒動が起こっていたみたいですね。
根底には、他者から与えられる情報を無条件に信じ込むという人が多いというところもあるのではないかと思います。インターネットが普及する以前は、マスメディアによる一方的な情報提供が一般的でしたし、それに長い間慣らされていたのも事実ですしね。

インターネット上の情報は、課金制などを採っているサイトを除いては無料で手に入ることが多いですが、質の保証がほとんどないのが現実です。今回取り上げたサイトのように、パロディを交えた記事を掲載しているところもありますし。
これらに目くじらを立てて怒ったり、その非を鳴らすことは簡単なことだとは思いますが、そこは情報の受け手の度量が問われるのではないかと思いますね。

無料で情報を仕入れている以上は、その情報をどのように受けとるかは受け手に責任が生じると私は考えます。
その受け取り方に間違いがあっても、その判断を下したのは自分自身の責任でしょうし、ましてや誤った判断の下に意見を開陳して恥をかくのも自分自身の責任です。
代価を払って手に入れた情報が誤りならば、その非を鳴らすことは当然だと思いますが、そうでなければ、自分自身でかいた恥の責任を情報の発信源に転嫁するのは、少し筋違いなのではないかと思いますね。

結局、行き着くところは受け手の度量にあると思います。
自分自身でも意見を発信している以上は、その根拠となる情報の真贋を見抜くことやそれに基づいて発進する意見の正誤についても、最終的には自分自身で責任を負わないといけないと思うのですが、厳しすぎる意見でしょうかねえ?