やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

不都合な事実を隠蔽する美しい言葉

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美しい面に隠れた不都合な事実

3.11から絆という言葉はよく出るようになりましたし、伝統という言葉も折に触れてよく出てきます。
どう言った時に使われるかと言えば、異論はあるとは思いますが、現状に対する無批判な肯定をする時に比較的多く出る傾向があるように思います。
集団の一糸乱れぬ行動の素晴らしさや、過去からの積み重ねなどの大切さを説いて、それらを続けさせようとする行動。
確かにこれらは美しい面があるのかもしれませんが、果たして、これらに潜む不都合な事実と向き合っているのかと思う時は多々あります。

美しい言葉によって引き起こされる思考停止

特にこれまでに感じたのは、昔にスポーツ界で横行した根性論ですね。
理論の裏づけもなしに練習の際に水を飲ませなかったり、ただひたすら練習だけを続けさせたりする。
では、それが個々人の能力の上昇に繋がるかと言えば、そうでない事も多い。
それなのに、そのようなことが続けられていたのは何故かといえば、結局は「今まで伝統として行われていた」ということが多いですね。
このような伝統という美しい言葉によって思考停止が行われる。
問題はこの思考停止によって、同じことが何度も繰り返されるという点にあると思います。

大切なのは批判的精神かと

ここで必要なのは、現状においてやっていることについては、必ず問題なり課題なりが存在することを常に認識することであり、それらを常に改善していく必要があるということだろうと思います。
問題は同調圧力であろうとは思いますが、それでも自分自身で問題だと感じれば、少しでも改善していこうとする意思を持つことが大事だと思います。時間はかかるかと思いますが。
大切なのは批判的精神なのかなと思います。
現状で思考停止せずに、より良い何が出来るのかを考える姿勢はいつでも大事なことだと思いますね。