やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

投票の棄権は権利の放棄をしているに過ぎないと思います

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どのような理由であれ、投票の棄権は権利の放棄をしているに過ぎないと思います。
なぜなら、選挙は我が国の憲法の根幹である民主主義が払わなければならないコストだからです。
今回の衆議院解散も、日本国憲法第7条に則って行われたわけですし、それに異議があれば、国民の代弁者たる立法権を持つ国会議員を選出し、憲法なり法令の改正を求めるのが筋であると思います。

そもそも、国民自身の権利を保持するために不断の努力が必要なのは、日本国憲法にも書かれている通りです。

日本国憲法(抄)
第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

どれほど無駄な衆議院解散だと思っても、誰を選んでも政治は変わらないと思っても、投票に値する候補者がいないと思っても、法令に基づいて選挙が行われる以上は、選挙で誰かを選ばないといけないと思います。
それこそが「不断の努力」でしょう。

政治家と言えども一人の人間ですから、すぐに国民が満足できるような政策を実行できるスーパーマンのような政治家はめったに現れないと思います。
大切なのは、より自分の考え方に近い政治家を地道に選ぶ努力でしょう。

面倒くさい?
そう、面倒くさいのが民主主義だと思います。
だからこそ、かのウィンストン・チャーチル卿が民主主義のことを「最悪の政治形態」と言ったのだと思います。
まあ、その言葉の後に「これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」と言を続けていますが。

民主主義は面倒くさいのと同時に、膨大なコストを必要とします。
しかしそれ故に、万人の知恵が活かされ、中庸で穏健な社会をもたらすことが可能だろうと思います。
格言に「三人寄れば文殊の知恵」という言葉がありますが、これは民主主義にも言えることでしょう。
衆知に基づいて営まれる社会、それこそが民主主義の真髄だと思いますね。