やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

豊太閤の木像であれば非常に興味深い発見だと思います

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扉が封印された社殿の中から発見されたということ自体が、江戸時代においてどのように豊太閤(豊臣秀吉公)が信仰されてきたかということを偲ばせますね。
没後、豊国大明神の神号が贈られながら、その後、豊臣宗家の滅亡とともに江戸幕府によって神号が剥奪され、京都の豊国神社も廃絶。長らく豊太閤信仰も禁じられてきましたが、この木像がその豊太閤のものであれば、民間、特に大阪において豊太閤信仰が脈々と受け継がれてきたということになるかと思います。
この辺は大阪の人々の反骨精神も現れているのかなと個人的には思いました。

公式の豊太閤信仰の復活は、慶応4年(1868年)の明治天皇の御沙汰書で、京都と大阪に豊国神社の再興が認められたことによるもので、大阪の豊国神社は明治13年1880年)に現在の中之島の中央公会堂の辺りに創建され、その後紆余曲折があり、最終的には昭和36年(1961年)に現在の大阪城天守閣の南側に遷座し現在に至っています。

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4年前に撮影した大阪・豊国神社の豊太閤像。
今も太閤秀吉公は大阪の市民に親しまれています。