やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

緊急事態を法体系の中に組み込むことは必須だと思います

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これらの記事を読んで我が意を得たりと思いました

今回、特措法(新型インフルエンザ等特別措置法)を改正せずに、再び実効性の低い緊急事態宣言発動に追い込まれたのは、政府および国会の不作為以外の何物でもないと個人的には思いました。
議論を行う時間はあったはずです。事実、昨年7月に吉村大阪府知事が提唱した大阪コロナ重症センターは完成しましたし、政治家に意志さえあれば何らかの対策を打つ時間はあったと思います。
結局、与野党を問わず国会議員のお歴々は、前回の緊急事態宣言以降何を議論していたのかと批判されても仕方がないと思いますね。

国会が緊急事態を法解釈で乗り切ろうとする矛盾

今回のコロナ禍のような緊急事態への対応で、社会活動を制限するような法令を制定することへのアレルギーがあることは事実です。
しかしながら、そのアレルギーへの対処として、真正面から法令をブラッシュアップするのではなく、国会自らが法解釈でもって乗り切ろうとする姿勢が、果たして法治国家として正しいものなのかとは個人的には思いますね。
緊急事態への対応は明文化して法令の枠組みに落とし込むことは、超法規的措置を避けるためには必要でしょうし、そのためにはこれらの議論から逃げてはいけないと思います。

とどのつまりは憲法改正にも通じることでしょう

上記の記事では、歴史的経緯から大陸法ベースの我が国の法体系に対して、戦後、英米法ベース考え方に立つGHQ憲法素案から緊急事態条項を不要なものとして削除したことが書かれていました。それは、英米法ベースでは明文規定がなくても緊急事態への対処が許容されるからですが、前述の通り、我が国においては緊急事態への対処を法令により明文化することは、過去の歴史を振り返っても最低限必要なことだと思います。
そしてそれは憲法改正にも言えると思います。
一番まずいのは、緊急事態が法解釈によって行われることで、憲法の一部を事実上空文化してしまうことでしょう。
そのためにも解釈の余地を与えないように憲法の条文を変えることも検討が必要だろうと思います。
今の憲法改正の議論は、護憲派改憲派の二元論に陥ってばかりで、今の憲法の精神を守るために憲法改正を行うという発想がほとんど見られないのが個人的には残念です。