やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

和歌山の栄枯盛衰に見る近世以来の物流の変化について

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江戸時代の物流は海運が中心でしたので、「天下の台所」大坂から見ると紀淡海峡の出口に当たる和歌山は、明石海峡の出口に当たる姫路と並んで戦略的な要衝として徳川幕府から重要視されたのは想像に難くないと思います。(もっとも姫路は山陽道などの陸の要衝でもありましたが)
現に姫路藩には立藩当初は徳川家康の娘が嫁いでいた池田家が配され、後には譜代大名の本多家が配されています。

特に江戸時代において、紀州沿岸は大坂と江戸を結ぶ菱垣廻船や樽廻船のルート上にあり、まさに物流のメインストリートでした。
ところが明治以降、東海道山陽道を中心とした鉄道網の整備から取り残された上、県域のほとんどが山岳地帯と言う地理要件から道路網の整備も進まず、その後のモータリゼーションの発展からも取り残された格好となりました。
この和歌山の事例を見てみると、街の繁栄は永続的なものでは無く、移動手段の高度化などによる物流の変化によって大きく変わることがよく分かります。

しかし、それもまた永続的なものでは無いのかもしれません。

今年初めに東洋経済オンラインで南紀白浜空港の取り組みが紹介されていました。
羽田から南紀白浜へは飛行機で1時間15分程度で向かえるという利便の良さを売りに、ビジネス・観光両面で集客を図ろうとする動きですが、これは移動手段の高度化に着目した面白い事例だと思います。

前述の通り、移動手段の高度化による物流の変化は幾度となく繰り返されてきました。
要はその変化にいかに対応して行くかが、これからもそれぞれの街の発展の鍵になると思います。
そしてその事は、何も和歌山に限った話では無いと思いますね。