
今ではあまり想像できませんが、江戸時代以前のわが国では、陸路よりも海路の方が主要な交通手段でした。
離れた地域に同じ地名が見られるのも、それだけ海路での往来が盛んだったことの表れなのだと思います。
特に江戸時代には、西廻り航路などが整備され、海運が発達していた影響は大きかったのでしょうね。
その海運があったからこそ、主要航路の港町を抱える地域は大きく繁栄したのだと思います。
例えば紀州藩が分かりやすい例でしょう。
大坂から江戸へ向かう航路の途中に位置していたことから、藩内の港町が繁栄したことは容易に想像できます。
御三家の当主の一人が藩主となっていた背景にも、海運の要衝だったことが関係していたのかもしれません。
しかし、明治時代に入り鉄道網が整備され、大量輸送の中心が陸路へ移ったことで、海路は次第に衰退していきました。
その結果、かつて海運で栄えた地域も衰退していったわけですね。
このことについては以前の記事でも触れましたが、結局のところ、時代の変化によって地域ごとの栄枯盛衰が避けられないのだと思います。
だからこそ、中央政府には地域間の発展の偏りをできるだけ抑える視点が必要なのではないでしょうか。
本気で地方分権を進めるのであれば、なおさらそう感じますね。