やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

正義の名の下に繰り広げられる醜悪な宴

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僕らは何かを批判するとき、何かを憎むとき、何かを否定するとき、そのための鋭利な言葉を手にする時、必ずもう一方の手にありったけの想像力を抱えている義務がある。自分がこれから傷つけようとしているものの正体を、少なくとも精一杯把握しようと努力する責任がある。
bicoidの2007年3月26日23時16分の記事より。

何か少しでも欠点が見つかれば袋叩きのような行動に出るマスコミやネット上の人々に対して、私が抱いている違和感を代弁して頂いた感じがしたので引用させてもらいました。
他人の誤った行動や物言いを咎めるのは簡単なことです。
100パーセント正しい人間なんているわけはありませんし、どんな人間にも隙はあるはずです。
ただ、その咎めることが単に悪事を叩くことだけならば、それはバッシングだけにしか過ぎませんし、表題に書いたような正義の名の下に繰り広げられる醜悪な宴が繰り広げられるだけにしか過ぎないと思います。

とりあえずは1+1=2という思考から離れる方が良いのかもしれません。
正しい事や正義などといったものは一つだけではありませんしね。
その辺は、自分自身がどれだけ余裕を持って考えることが出来るのかにかかってるのかなと思います。