やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

イスラム教圏におけるサウジアラビアとイラン

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面白く読ませてもらいました。
イスラム教圏におけるイラン(ペルシア)の立ち位置がよく分かるのかなと思います。

アラブ人とペルシア人

最近になって国交断絶という事態に至り、クローズアップされつつあるサウジアラビアとイランの対立ですが、元をたどれば、アラブ人とペルシア人の対立にまでさかのぼると個人的には思います。
田中芳樹氏のアルスラーン戦記に登場する蛇王ザッハークは、実在の書であるシャー・ナーメ(王の書)にも登場していますが、もとは「アラブの王子」であったという記述があります。ザッハークはペルシアに軍を進めてジャムシード王を殺害し、その後千年にわたってペルシアを支配したという記述もありますが、このあたりからも、ペルシア人のアラブ人に対する悪感情が感じられるかなと思います。

イスラム文化の根幹をなしたペルシア文化

また、七世紀に起きたイスラム教徒によるペルシア征服により、ササン朝ペルシアが滅亡してペルシアがイスラム共同体の支配下に入りますが、その中で比較的先進的だったペルシアの文化がイスラム共同体内に伝播し、高度なイスラム文化が発展しました。ここからも、征服はされてもイスラムの文化を支えているのはペルシアだという自負はあったのかもしれません。

スンニ派サウジアラビアシーア派のイラン

その辺りから、スンニ派シーア派に分かれるという事態にはなったとは思います。三代目イマームフサインササン朝ペルシア最後の王の娘を妻にしていたこともありましたし。
イランがシーア派の大国であるのは、歴史的なアラブ人への対抗心や自国の文化への自負などが歴史的経緯としてあるのだろうと思います。
一方のサウジアラビアはアラブ人の国で、メッカやメディナの聖地を擁するスンニ派の大国。
地理的な位置関係もあるので、どうしても対立は生まれるのだろうとは思います。

イスラム教国≠アラブ国家に留意は必要かと

結論から言えば、同じイスラム教圏の大国でも、サウジアラビアとイランとは大きく異なるということは、今後の中東情勢を考える上で頭に入れておく必要があると思います。
どうしても同じイスラムの国だと、アラブのイメージになってしまうんですけどね。
アメリカとイランの雪解けの後に起こった、サウジアラビアとイランの対立を考える上で、国柄の違いは歴史的経緯を踏まえた上で知っておくべきかなとは思いました。