やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

石切駅周辺の旧跡を見物してきました

前回紹介した旧生駒トンネルの遺構の他に、周辺の旧跡を見物してきました。
実は2000年前には生駒山の麓に海岸線があったという話など、色々と興味深い話がありました。

まずは石切駅の山側にある石切劔箭神社上之宮へ。
もともとはこちらが本宮だったのですが、今は新石切駅近くに本宮が移り、静寂に満ちた場所です。
その境内にあるのが、この石切登美霊社。
神武東征の際に神武天皇と相対した長髄彦の妹で、饒速日命の妻である登美夜毘売を祀っています。
神額や貫がない一風変わった鳥居や竪穴式住居を彷彿とさせる社殿など、色々と珍しいつくりの社です。

石切駅を超えて瑞雲山大龍寺へ。
聖徳太子の創建と伝えられる由緒あるお寺ですが、応仁の乱大坂の陣などの兵火により荒廃。
その後江戸時代に入り、大阪の豪商天王寺屋の庇護を受けて再建されました。
天王寺屋は幕末の混乱の中で没落しましたが、再建当時の建物は残っており、当時の大商人の財力がうかがえます。

さらに下ると日下村の庄屋を務めた旧家川澄家の屋敷が。
今は東大阪市が管理しており、一般に公開されています。
写真は奥屋敷の棲鶴楼。
善政を行ない住民に慕われた日下の領主で大坂西町奉行を務めた曽我古祐が隠居後住んでいたところだそうです。

東高野街道の近くにある日下貝塚跡。
見かけは農地ですが、ここから大量の貝の化石が発掘されたそうで、この貝塚によって2000年前は東高野街道あたりが海岸線だったことが判明したそうです。
古代、大阪平野上町台地を除いてほとんど海の底だったのは知られていますが、生駒山の麓まで海がせまっていたことはあまり知られていません。
神武天皇は天磐船で孔舎衛坂に向かったという話があり、単なる神話として取り扱われていましたが、この貝塚の発掘により、神武天皇は船で生駒山の麓までやってきたのではないかと唱える人も出てきています。
古代のロマンですね。

貝塚から北上して善根寺春日神社へ。
境内には孔舎衛坂古戦場の碑があります。
本殿には「日本最初春日神社」という扁額があり、「元春日」枚岡神社から奈良の春日大社へ祭神が勧請された時の経緯が気になるところです。

おまけ。
善根寺春日神社の近くで、終戦詔勅の起草に関わったあの安岡正篤氏の旧宅を見つけました。
戦後の歴代総理の相談役としても有名な方ですね。
どうやら、氏が旧制四條畷中学校(現四條畷高校)在学中に住んでいたお宅だったようです。
私有地であるせいか、内部は公開されていないようでした。

今回は色々と郷土の歴史を感じながら散策させてもらいました。
また天気の良い日にこのような散策をして見たいものです。