今週に入ってから、仕事面で神経をサンドペーパーで擦られるようなことが多発していて、少々気が滅入っています。
まあ、これも給料を貰っているうちと言う事で、致し方ない事なのかもしれませんが。
今日のその時歴史が動いたは、あの田沼意次の特集でした。
長年に亘って、悪徳政治家のレッテルを貼られ続けてきた意次について、不倶戴天の仇敵だった松平定信の子孫である松平定知アナウンサーが語るということだけでも興味があったのですが、通貨制度改革や貸金会所(佐藤雅美氏流に言えば「日本惣戸税」)についても触れられていたのが興味深かったです。
その代わりに、後の北方探索への端緒を開いた蝦夷地開拓事業や印旛沼干拓事業について触れられなかったのが残念と言えば残念なのですが、限られた時間だったのでこれは仕方がないという所でしょうね。
そして、最後に登場した意次直筆の将軍家斉への上疏文。
守旧派の批判をものともせず、ひたすら国家の安寧のために働いた意次の姿にしばし物思いに耽ってしまいました。
戦前に辻善之助先生が田沼時代を著し、一義的な田沼意次像に疑問を呈してからおよそ90年。ハーバード大学のJohn Whitney Hall教授がTanuma Okitsugu(1719-1788) Forerunner of Modern Japanを著してからおよそ50年。その他、村上元三氏の小説「田沼意次」を始めとして、数多くの人々の努力によって田沼意次の再評価が進められてきました。
歴史書が当時の権勢家によってその史実を歪められるのは往々にしてよくあることなのですが、その作られた史実を年月をかけてひっくり返してしまうところに、歴史学の凄みと面白さがあると思います。
歴史書は勝者によって作られますが、歴史はやがて敗者にも光を与える。
逆もまた真なり。
つまるところ、歴史の人物に対する評価というものは、そんなものであるのかもしれませんね。