昨日の帰りに買ってきたコミック乱の7月号をようやく読む事が出来ました。
その中でも一番楽しみにしているのはもちろん風雲児たち・幕末編で、今はちょうどペリーと浦賀奉行井沢美作守らとの間で丁々発止のやりとりがなされている場面が描かれてます。
となると、当然あの場面が出てくるかなと思っていたんですが、やっぱり出てきました。我が国の小笠原領有をアメリカに認めさせる場面が。
これらの日米間の交渉によって我が国の小笠原領有が確定した訳ですが、実はその決め手となった書物についてはあまり知られていません。
その書物の名は三国通覧図説。
作者は、海国兵談を著したがゆえに、時の老中久松(松平)定信によって迫害された、寛政の三奇人の一人、林子平その人です。
三国通覧図説は、海国兵談が発禁処分を受けたあおりを喰って、同様に久松(松平)定信によって焚書にされたのですが、実は何冊かはこの図説の序文を書いた桂川甫周(前野良沢らと共に、あの解体新書の訳読をした人としても有名)の尽力によって海外に渡っていました。
その海外に渡った図説がやがてロシアの日本人漂流民の助力によって訳されて(ロシアになぜ日本人漂流民がいたかについては、おろしや国酔夢譚を一読されると良いと思います)、当時の外交上の公用語であったフランス語版としてパリで出版。
その後、どんな経緯があったかは不明ですが、我が国にそのフランス語版が逆輸入されて幕府の手に渡り、小笠原の日本領有の決め手となった訳です。
言い換えれば、もし林子平がこの書を著さなければ、久松(松平)定信によってこの書が徹底的に根絶やしにされていれば、あるいはロシアに日本人漂流民がいなければ、このフランス語版は無かったはずですし、ひいては小笠原の日本領有も幻と終わっていた訳で、まさに我が国を救った一冊と言えるかもしれません。
前にも同じ事を書いた記憶があるのですが、私が風雲児たちの奥の深さを感じるのは、まさにこの三国通覧図説を巡るエピソードをたどった時で、個々の小さな偶然が大きな歴史の流れを紡ぐ実例をまざまざと見せつけてくれる訳です。
こればかりは、単純に歴史を勉強しているだけでは感じ取る事は出来ませんね。
風雲児たちについては、これからも楽しみにしている場面がたくさんあります。
吉田松陰の密航の場面とか、ハナタレ坂本龍馬とべらんめえ勝海舟との出会いとか、おそらくは大河ドラマよりも面白くなりそうな新選組の面々とか。
どうやら、五稜郭の陥落がラストになるそうですが、楽しみの種は尽きる事がありませんね。