地元大阪は、大阪冬の陣・夏の陣があっただけに真田信繁(幸村)ゆかりの史跡が多くあるのですが、個人的には地元過ぎて行くのが後回しになっていました。
そこで今回、意を決して真田信繁ゆかりの史跡巡りをしてみることにしました。
真田丸のお膝元・玉造
まずは大阪冬の陣の際に真田信繁が築いた真田丸があったとされる玉造界隈へ。
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅から南に行った所に三光神社がありました。
本殿の横に真田信繁像がありました。
左奥に見えるのが真田の抜け穴と言われているものです。
映画「プリンセス・トヨトミ」でも話題になっていました。
11月に行われる真田まつりで抜け穴が一般公開されるそうです。
その後は西に向かい心眼寺坂へ。
右に見えるのが真田丸跡に建っている大阪明星学園です。
心眼寺の向かいにある真田丸顕彰碑。
最近の研究で真田丸跡はこの明星高校がある辺りにあったと推定されました。
今年の1月に建立されたそうです。
戦勝祈願の地・平野
次に地下鉄を乗り継いで平野区へ。
まずは真田信繁の軍旗が奉納されている志紀長吉神社へ。
普段、軍旗は非公開なのですが、今日はたまたま第3日曜日で公開日だったので実物を見ることが出来ました。
六文銭は永楽銭(永楽通宝)で描かれていて、ところどころに鉄砲の物と思われる穴が開いていて、激戦の様子がうかがえました。
志紀長吉神社の南にある真田幸村休憩所跡。
大坂夏の陣の伊達政宗との戦いの後、大坂城に帰還する途中で信繁(幸村)が休憩した場所です。
この時に近くの志紀長吉神社に軍旗などが奉納されたそうです。
今度は平野区の中心部へ。
この樋尻門口地蔵では、徳川家康がこの場所にやって来ると予見した真田信繁が、ここに地雷火を仕掛けて家康を亡き者にしようとしたという言い伝えが残っています。
家康は離れていて無事でしたが、お地蔵さんの首が爆発の威力で近くのお寺まで飛んで行ったそうです。
樋尻門口地蔵の西側にある全興寺。
地蔵堂が爆発した際に、お地蔵さんの首がこのお寺まで飛んできたという言い伝えがあります。
本堂にその首地蔵があるそうですが、今回は見ることが出来ませんでした。
この全興寺で時間切れ。
残念ながら、天王寺界隈の史跡は見ることが出来ませんでした。
次回にまた行ってみたいと思います。