やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

打算であっても道理があったからこそ今も伝わっているのでしょう

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上記記事のタイトルを見て「おや?」と思ったのですが、記事の内容はオーソドックスなものでした。
確かに生き馬の目を抜く戦国時代の話ですから、義だけで一国の戦国大名が動いたとは思えないんですよね。
越後一国を統一し、一時はあの北条氏康小田原城籠城にまで追い込んだ軍略家でもあったので、当然政治的な思考もあったとは思います。

上記記事では「敵に塩を送る」逸話が、宿敵武田信玄の流れを汲む武田流軍学者から広まったと言う仮説が紹介されていますが、宿敵ながら武田信玄自身が上杉謙信を高く評価していたことを考えると、あながち外れでも無いのではと思います。
個人的には、武田信玄自身も上杉謙信の義を信じると言うよりもその行動の合理性を信頼していたのでは無いかとは思います。
いわゆる道理ですね。
裏切り、寝返りが一般的だった戦国時代にあって、この道理こそが相手を信用する尺度の一つだったのではと思いますね。

特に上杉謙信は、その道理と言うものに人一倍注意を払った戦国大名だったのだろうと思います。
後世の喧伝もあったのかもしれませんが、上杉謙信が義の武将として広く知られるようになったのは、それなりの理由がもともとあったのかも知れないとは思いました。