中国の江沢民国家主席はその死に際して表題の通りにたたえる弔電を送ったそうです。
中華人民共和国の成立までの国共内戦時代の数少ないの生証人で、第二次国共合作の引き金となった西安事件の首謀者でもあった張学良氏が先日死去したそうです。享年100歳。
1901年に、後に中国東北部に一大勢力を張った奉天派軍閥の総帥、張作霖氏の長男として遼寧省に生まれた氏は、1928年に関東軍によって爆殺された父の後を受けて奉天軍閥の総帥となりました。
その後、日本の意向に反して、国民政府に忠誠を誓う意味で自らの支配下にあった東三省において国民政府の旗である青天白日旗を掲げる、いわゆる「易幟」を断行して国民軍に合流し、日本軍を駆逐するための活動に入ります。
一躍、氏を有名にしたのが1936年に西安において時の国民党の指導者・蒋介石を拘禁し、内戦の中止と一致抗日を求めたいわゆる西安事件で、このことにより、蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党との間に第二次国共合作が成立し、抗日統一戦線が構築されるきっかけとなりました。
しかし蒋介石を拘禁したかどにより、氏は懲役10年の刑に科せられ、その後も長らく軟禁状態に置かれていました。
その後、李登輝政権下で名誉を回復し、近年はハワイで余生を送っていたそうです。
張学良氏の死去により、清末期から中華人民共和国の成立までに、中国大陸を舞台にした動乱時代の主だった登場人物たちは、ほとんど鬼籍に入ってしまいました。
私はこのことによりいわゆるその動乱時代の歴史的検証というものが本格化するのではないかと思っています。動乱時代を生きた彼ら(あるいは彼女ら)が残した様々な文章や言動といったものが、時間をかけて少しずつ明らかにされるものだろうと思っています。
今回の張学良氏についても、肝心の西安事件についてはほとんど沈黙を守ってきました。以前に行われたNHKの単独インタビューもほとんど核心に触れませんでしたしね。ただし、いくつかの公開されていない記録というのが残っているそうなので、何年か後にそれらが明らかにされる時を待ちたいと思います。