今回の風雲児たちで、ついに藩祖保科正之公が定めた会津藩家訓が若くして会津藩主の座につくこととなった松平容保に重くのしかかってゆく場面が登場しました。
「大君の儀、一心大切に忠勤を存ずべく、列国の例を以て自ら処(お)るべからず。若(も)し二心を懷かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず」と言う第一条から始まる会津藩家訓は、その第一条にあるように、将軍家に対する絶対的な忠誠を表したものですが、それ故に会津藩が滅亡の憂き目にあい、白虎隊を初めとする様々な悲劇が生まれたのも歴史が証明した通りであります。
ですが、それをもって藩祖保科正之公を初めとする会津藩の面々を間違いだと断じるのは、いささか早計にすぎると私は思います。
身を捨てても遺したもの、そう言ったものがこの会津藩にもあると私は思うのです。残念ながら「白河以北一山百文」と東北の地が揶揄されたように、戦前においてはこれらの事績というのが無視され続けてきました。ですが、民間レベルでは語り継がれてきたと言うことは、今もなお様々な著作物が著されていることからも明らかではあると思います。
話を風雲児たちに戻しますが、その家訓と現実との間に揺れ動く藩主松平容保や会津藩士たちがどのように描かれるか、とても楽しみです。