やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

批判する「だけ」ならば誰にでも出来ますね

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誤りを認めて真摯に反省するのは人としては当然だと思うのですが、一つの失敗という傷に塩を塗り込むような行為ってどうなのかなと思います。
一つのミスも許されないという立場に追い込まれた場合、よっぽど逆境に強い人でなければ、その失敗を隠し通そうとするでしょう。痛烈な罵倒の嵐の中でも平気でいられるタフな人は、そうそういるわけではありませんし。
人は弱いものだということは理解しておく必要はあると思います。

ここで必要なのは、批判よりも検証であろうと思います。
何故、警察の捜査は冤罪の方向へと向かったのか?
何故、裁判所の判決も冤罪の方向へと向かったのか?
そして、当時のマスコミの報道や世論はどうだったのか?
これらを検証することの積み重ねによって、社会は少しでも過ちを犯さない方向へと進むのではないかと思います。

人類社会は失敗を犯さない超人たちによって営まれているわけではありません。
ごくありふれた人間たちの集まりです。
また、地上の楽園やユートピアなどというものは与えられるものではありません。
ただ、人々の努力によって、ユートピアに近付くことは可能かもしれません。
その集団による叡智が、人間を人間たらしめているものだと、私は思うんですけどね。