やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

センセーショナルな報道だけが犯罪の軽減に繋がるのでしょうか?

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至極もっともなご意見だと思いましたので紹介させて頂きたいと思います。
事件報道は単なる勧善懲悪劇とはわけが違うのだということを、より多くの人に知ってもらいたいと思います。

刑罰の基準は社会により様々であり、絶対的な基準などありません。それぞれの社会が任意に決めるべきことです。しかし視聴率優先といったマスコミの営業政策から生まれた興味本位の報道によって、報復が正当化されて厳罰化が起き、その結果、社会から寛容さまでもが失われるのならば、ちょっと見過ごせない問題だと思います。

岡田さんがこのように書かれている通り、寛容さが失われるのはとても問題だと私も思います。
私が恐れるのは、社会から寛容さが失われた結果として、我が国が再び全体主義的な社会になることです。
これは杞憂では無いと思います。
歴史上の事例としては、言うまでも無くワイマール共和制から第三帝国へと移行したドイツが上げられますが、我が国も、戦前は天皇陛下の主権の下と男子のみの普通選挙という制限はありましたが、議会政治の下で全体主義的な社会へと突入したことを忘れてはいけません。あの時に軍部を支持したのは、まぎれも無く当時の民衆であり、その民衆によって選ばれた議員たちでした。
全体主義的な社会へと容易に突入出来る危険性を、民主主義社会は秘めていることは忘れてはならないと思います。
そのためにはポピュリズムは排除される必要がありますし、マスコミもその危険性を考えながら報道する必要があると思います。
そのためには、一時的なセンセーショナルな報道だけでなく、犯罪の原因から事後の影響までを長期的な視点で報道する姿勢を見せて欲しいと思います。
民間企業なので、視聴率や発行部数競争を全面否定するつもりはありませんが、せめて社会的公器としての姿勢ぐらいは見せて欲しいと思います。