やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

民族と言う名の共同幻想

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今日は歴史群像の4月号を読んでいました。

主に読んだのは、毛利家隆盛の礎となった厳島合戦スウェーデン国王グスタフ2世アドルフが活躍するブライテンフェルトの会戦、そしてユーゴスラビア連邦の瓦解を描いたユーゴ紛争史<後編>の3つです。

中でも3つ目のユーゴ紛争史は、民族という概念がいかに曖昧な物であったかというのが痛烈に描かれていて、とても興味深く読ませて頂きました。
その根拠が薄弱な「民族」と言う概念によってユーゴの地で引き起こされた様々な悲劇………大量虐殺、民族浄化という単語に隠されたレイプ行為などは、正義の名の下に人はいかに残虐なことが出来るかという事を証明しているのかもしれません。

これらの事は我が国とも無関係なことではありません。
戦前、「一等国民」という言葉が存在しました。

一等国民=日本人は、亜細亜の指導的立場にある民族である。

この考えのもとに大東亜共栄圏構想が生まれ、我が国のアジア侵略が遂行されたのは皆さんもご存知のことだと思います。
しかし、その民族思想がもたらしたものは、戦火に蹂躙され、焦土と化した我らが祖国でした。

今、私が非常に危惧しているのは、現在の不況による経済的不満が、民族排斥の動きに繋がることです。
考えすぎなのかもしれません。しかし、そのような事例はこれまでの歴史上に数多く存在しましたし、民族というシンパシーは美酒のようなもので気持ち良く酔えるものですしね。

ただ、願わくば、酔ったとしても、後に痛烈な二日酔いが来ないことを祈りたいですね。