私が銀河英雄伝説という作品に出会って、既に10年以上の年月が経過しました。
当時、私は高校生でしたが、この作品ほど、私の物の考え方に深い影響を与えたものは他にはありません。
そして、中でも強い共感を抱いたのが、ヤン・ウェンリーという一個人の生き方でした。
「国家が、社会的不公平を放置して徒に軍備を増強し、その力を、内に対しては国民の弾圧、外に対しては侵略という形で乱用するとき、その国は滅亡への途上にある。これは歴史上、証明可能な事実である。」
「……私は最悪の民主政治でも最良の専制政治にまさると思っている。だからヨブ・トリューニヒト氏のためにラインハルト・フォン・ローエングラム公と戦うのさ。こいつは、なかなかりっぱな信念だと思うがね」
「歴史とは、人類全体が共有する記憶のことだ、と思うんだよ、ユリアン。思い出すのもいやなことがあるだろうけど、無視したり忘れたりしてはいけないのじゃないかな」
「宇宙はひとつの劇場であり、歴史は作者なき戯曲である」
「生意気言うな、子供のくせに。子供ってのはな、おとなを喰物にして成長するものだ」
私が銀河英雄伝説という作品の中で、印象に残っている文章のほとんどが、ヤン・ウェンリーが発した(あるいは叙述した)言葉であり文章でした。現状の民主主義国家の堕落を嘆きながらも、その核であり建前でもある民主主義の理念・理想を護り続けた等身大の人物として、架空上の人物でありながら、その言葉は大変なリアリティーをもって迫るものがありました。
以前、十二国記の作者である小野不由美先生は、銀河英雄伝説という作品の中で突きつけられている命題は、ラインハルトかヤンか?ではなく、ラインハルトかトリューニヒトか?であろうという趣旨のことを述べられていたのですが、私も全くその通りであると思います。
ラインハルトに代表される清新な専制政治とトリューニヒトに代表される腐敗した民主政治、どちらを選ぶか?と問えば、現代の民主国家を思い浮かべれば、おそらくは前者を選ぶ人たちが少なからず存在するだろうと私は思います。
しかし、この小説でのヤンのメッセージを理解された人なら、ほとんどの人が民主政治の理念の大切さを感じておられるだろうと思います。
そして、その理念の下に短い人生を駈け抜けたヤン・ウェンリーに深い共感を覚えているとも思うのです。
宇宙暦800年の今日、ヤン・ウェンリーは自身の意に沿わぬ形で不帰の人となってしまいました。
ただ小説上の人物であり、架空の人物であったとは言え、その人物が現実の私に教えたことは計り知れない程のものだったのです。