我が国では、公人としての発言と私人としての発言とを混同する傾向があると思います。
具体的には、プライベートで発言したことでも実名が知れると、「あの○○社の××氏がこういう事を言った」という具合に展開していってしまうのはよくあるのでは無いでしょうか。 特に企業の場合、風評リスクを極度に恐れていることが多いですから、例え私人としての意見であっても、それが企業の顧客に対して悪影響を与える場合があるならば、発言者に対して一定のペナルティを与える可能性はあると思います。
ただそれは、企業が悪いのではなく、企業に勤務する公人と私的な生活を送る私人とを割り切る事が出来ない我が国の社会にも要因は求められるのでは無いかと思いますけどね。
また、組織に所属している以上、公人としての意見と私人としての意見が違う事も往々にしてあります。それを以て、意見の不一致を責めるのはあまりにも酷だとは思います。
公人と私人とを混同する社会と、一人の人格で公人か私人かで意見を異にすること。
特に前者が存在する限りは、実名で意見をネット上で表明するのを忌避する人が出ても仕方が無いと思います。
そこでハンドルネームというものの存在が重要になってくると思います。
ここで問題なのは、実名か匿名かという二元論ではありません。
自分の存在を明らかにして、かつ自分自身の言論に責任が持てるか否かだと思います。
それならば、匿名でも自身の所在が受け手に認識されているハンドルネームでも、十分に実名に近いものになり得ると思います。
重要なのは、意見を発した人がネット上で固定的に認識される工夫なんだろうと思います。
この辺りは、インターネットが社会の一部になった現在でも模索が続いているわけですが、問題意識としては常に持っておく必要はあると思いますね。