やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

ゴルバチョフ氏死去

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訃報が続きますね。
今度は東西冷戦終結の立役者の一人であったミハイル・ゴルバチョフ氏が亡くなりました。

私が若い頃のロシアはソヴィエト連邦ソヴィエト社会主義共和国連邦)という国家で、その元首は最高会議幹部会議長でしたが、ゴルバチョフ氏はそのポストに就任した最後の人物でした。
20年近く最高会議幹部会議長の地位にあったブレジネフの死後、アンドロポフとチェルネンコが後を継ぎましたが共に七十歳前後と高齢でした。
それだけに五十代で就任したゴルバチョフ氏については、非常に若い印象を受けたことを今でも覚えています。

彼が最高会議幹部会議長共産党書記長を兼任してソヴィエト連邦の指導者となったことで、ソヴィエト連邦内では改革が進みました。
ペレストロイカ(再構築)とグラスノスチ(情報公開)、今では歴史の教科書に載っている言葉だろうと思いますが、当時は我が国のマスメディアでもこれらの言葉はよく取り上げられていました。
それだけにゴルバチョフ氏という人物は我が国においても馴染みが深い人物でした。

結果としてソヴィエト連邦が崩壊したために、ロシア国内での彼の評価は高くないようですが。
ただ、仮に当時のソヴィエト連邦の指導者が彼でなかったとしても、ソヴィエト連邦そのものが崩壊するのは規定の事実だったと思います。
本来であれば、ソヴィエト連邦からロシア連邦への移行は多くの流血を伴う危険性があったはずですが、そうならなかったのはゴルバチョフ氏の存在も大きかったとは思いますね。

冷戦崩壊後、世界は停滞から脱して発展に向かっていくと当時高校生だった私は期待しましたが、現在の状況を見ていると大して世界は進歩しないものだと少し落胆している面はあります。
これは、どれだけ傑出したリーダーが現れたとしても、世界を一変させることは難しいことを歴史的にも証明したものであると言えるでしょう。
しかし、あの時代にゴルバチョフ氏がソヴィエト連邦の指導者でなかったら、世界はさらに泥沼の状況になっていたでしょう。
我が国のこれまでの平和と安寧も続いていなかったかもしれません。

そういう意味では、個人的には平和を享受できた恩人の一人として感謝をしていますし、大往生ながらも亡くなられたことに対して哀悼の意を表したいと思います。

また一つ歴史にピリオドが打たれたと思いました。