やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

100名城の旅・その46〜月山富田城

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松江から車を使い、今度は安来市へ。
中海から飯梨川沿いを上流に向かったところに目指す月山富田城跡がありました。

安来市立歴史資料館
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まずは100名城スタンプが置かれている安来市立歴史資料館へ。
1階の展示は無料で見ることができました。
ただし、2階の企画展については料金を払う必要があります。

月山富田城の麓
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月山富田城の本丸跡までは、登城というよりは登山ですね。
時間の都合もあり、今回は麓から少し登るだけにしました。
城跡にたくさんの幟が立てられており、麓からも見ることができました。

千畳平への坂道
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麓から千畳平まででもこのような山道でした。
本丸へ行くまでの大変さが思いやられます。
あの名将毛利元就兵糧攻めでしか攻め落とせなかったのも無理はないと思いました。

千畳平
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千畳平に到着。
幟には平四つ目結の紋が描かれていました。
平四つ目結紋は尼子氏の家紋ですが、もともとは近江の名族、佐々木氏の流れをくむ京極氏の家紋で尼子氏はその分家です。
近江の尼子郷に居住したことから尼子氏を名乗ったと言われており、滋賀県には今でも尼子という地名が残っています。

千畳平から中海方向
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千畳平から中海方向を撮影。
天気が良ければ中海も見ることができたかなと思います。
意外に中海に近い印象を受けました。
戦国の世にあっては、安来の港に近く堅牢な山城であったこの城が尼子氏にとっても有用だったのだろうと思います。

馬乗馬場
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千畳平の横にある馬乗馬場。
こちらにも尼子氏の幟が立っていました 。

山中幸盛の銅像
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千畳平から少し登ったところにあの山中鹿介こと山中幸盛銅像がありました。
このポーズは有名な「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったものですね。
山中鹿介は滅亡後の尼子氏再興を図って各地を転戦した忠臣として知られていますが、一方で三日月への祈りの言葉ゆえに、日本最初のM男さんといじられることも一部ではあるようです。

もう少し散策したかったのですが、帰阪の特急の発車時刻が近づいていたので止むなく米子へ。
久しぶりに城めぐりができて良かったです。