やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

トラックバックの問題はどれだけ送る相手の考え方を尊重するかに尽きると思います

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まずはトラックバックPingに対する私の考え方を明らかにしておきたいと思います。
受付については、明らかにトラックバックスパムだと思われるようなものではない限り、原則的に全て受付しています。
一方、送信する場合は、記事の文中で相手サイトを紹介している場合に送信しています。以前は送られてきたトラックバックに対して返信の意味でトラックバックを送ったりもしていたのですが、文中で触れないでトラックバックだけを送るのも何だかなあとも思うようになりまして、今はやっていません。上記の絵文録ことのは流の定義では、受信については「関連仲間文化圏」と「ごあいさつ文化圏」を合わせたものであり、送信については「言及リンク文化圏」に入るであろうと思います。(ただ、これはあくまでも私個人の考え方であって、善意でトラックバックを送って頂ける方々を批判しているのではないという事だけは書き添えたいと思います)

で、上記の記事のような見解の相違が生まれるのは、様々な理由が考えられるとは思います。
私が思いつく限りでは、トラックバックPingと更新Pingとの混同、トラックバックについての理解度の問題、そして、仲間を増やしたいという欲求、などなどでしょうか。
まあ、こういう見解の相違というのは、トラックバックも「道具」である点を考えれば仕方が無い部分もあると思いますけどね。道具の使い方は、使う人の考え方によって決まるわけですし。
そのやり方が間違っているのならば、それを正しい方向に向かうように教えればいいわけですしね。
問題は時間がかかることでしょうが、それはやむを得ないでしょう。もともと、大勢の人々に一つの考え方が浸透するのには時間がかかるのは、何も民主主義のプロセスに限った話ではありませんし。

ただ、それらのトラックバック云々の考え方について論じる以前に一番根っこで注意しないといけないと思うのは、結局は「相手の嫌がる事をしない」という事に尽きるんじゃないかと思います。
確かに個人個人にはそれぞれ主義主張がありますし、それらを尊重するのは大切な事ですけども、他人が同じ考えだと錯覚して自分の考えが正しいと押し付けるのは、このトラックバックの問題だけに止まらず、非常に危険な考えだと思うんですよね。そこに生まれるのは、不必要且つ不本意な摩擦だけだと思うのです。
………話が大きくなりそうなのでトラックバックだけに限定しようと思いますが。送る側もその相手のサイトの記事に思う所があったから送るわけですよね。それが、言及無しトラックバックという一事だけで不和が生じるとしたら、とてももったいない事だと思うんですけどね。
まあ、「そこまで考えてられるか」と言われたらそれまでですけどね。(汗)