ソビエト連邦(ソ連)が崩壊した時、私はまだ大学生でした。
もともと、その数年前に那須聖氏の「ソ連崩壊」という本を読んでいてソ連の存続については懐疑的でしたし、1989年の東欧革命で次々に共産主義体制が崩壊しましたしね。
ソ連が崩壊した時はとうとう終わったかと感じたことを今でも覚えています。
ソ連をはじめとする共産主義体制があの時崩壊したのは様々な要因がありますが、やはり共産主義の持つ非人間的な特性が人間の欲望や平等観に合わなかったのだろうと個人的には思っています。
共産主義特有の国有化や計画経済は国家による上からの支配が有効に働くことで初めて成立するため、結局は君主制の時以上の抑圧を国民に与え続ける必要がありました。
共産主義諸国が勃興する前はたいてい皇帝や王をいただく君主制国家でしたが、結果として君主が政治指導者に、貴族が共産党員に置き換わっただけで国民を抑圧する構図は変わりませんでした。
国民の幸福のために国民を抑圧するのは、まさに歴史的な皮肉と言っても良いでしょう。
今も存続している共産主義国家はありますが、それらは存続させることだけを目的に生きながらえている国々でしかないと個人的には思っています。
そこに何の価値があるのかとは思いますね。
人はパンのみにて生くるにあらずという言葉が聖書の一節にありますが、パンをはじめとする食べ物がなければ人は生きられません。
経済的充足こそが人にとっては最も大切なことの一つであり、政治家であれば主義主張以前にそこを考えなければならないと思います。
意外にそこを考えない政治家が多いのは残念だと思っています。