やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

哀しみが憎悪を産み、憎悪が新たなる憎悪を産む

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あれからもう2年ですか。
卑劣なテロリズムの犠牲となった多くの無辜(むこ)の市民に対しては、ただただ哀悼の意を表するのみです。

そして、あの時から歴史の軌跡は血なまぐさい方向へと舵をとっているかのようにも思えます。
殺戮がまた新たなる殺戮を産み、そしてそれに数倍する憎悪を産んでいく。
これが人類という種の性である、と諦観するのは簡単なことです。
ですが、本当にそれで良いのでしょうか。

戦争を遂行する上で必要なのは、言うまでもなく敵です。
そして、その敵は大衆に解りやすいように、国家やマスコミなどによって常に定型化されてきました。

ただし、これは大衆に恐ろしいまでの思考の停止をもたらします。
そしてその思考の停止は、多様な存在への否定へと容易につながります。
ですが、アメリカの国民は、全てがネオコンの信奉者ではありません。
ましてや、イスラム教徒が全てテロリストというわけでもないのです。

卑劣な犯罪者に対する正当な怒りがあればこそ、そこでより冷静な考えが必要になってくるのでは無いでしょうか?
本当に裁かれるべき悪は何なのかということを認識するために、自分自身で真実を見極めるために。
まあ、そこが一番難しいところなんですけどね。
ただ、忘れたくは無いですね。