やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

新選組の借用書から考える大阪商人の栄枯盛衰

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大同生命本社と聞いて「もしかして」と思ったら、やはり加島屋でした。
NHKの連続ドラマ『あさが来た』でも描かれたように、広岡浅子の活躍により加島屋は激動の近代化の波を乗り越え、結果として大同生命の礎となりました。
だからこそ、こうした歴史的な資料が残っているのだとあらためて実感します。

江戸時代の200年以上続いた泰平の世においては、商業の自然発生的な発達がもたらされました。
特に海運の要衝であり全国諸藩の蔵屋敷が集まっていた大坂(現・大阪)では、多くの商家が活躍しました。
中でも、両替商や大名貸で巨万の富を築いた蔵元や掛屋は豪商として名を馳せた存在です。

とはいえ、淀屋のように闕所*1によって没落した商家もありました。
一方で鴻池屋のような商家は、時代の空気を読みつつ幕府や諸藩と上手に関係を築きながら幕末まで生き延びました。

そして幕末から明治維新という大転換期。
版籍奉還廃藩置県と続く中で、大名貸を主力としていた天王寺屋や平野屋は没落。
反対に、鴻池屋や加島屋のように銀行設立など近代化に舵を切れた商家は命脈を保ち、明暗がはっきり分かれました。

その後の大阪で最も繁栄したのは、別子銅山を背景に江戸時代から多角的な経営を進めていた住友家(泉屋)で、大阪市内に残る数々の施設が当時の名残を伝えてくれています。

いつの時代も、事業の多角化は企業が生き延びるための有力な手段なのだと感じます。
もちろん、経営資本に余裕のない中小企業にとっては簡単なことではありませんが、現状維持のままでは衰退してしまうというのもまた、いつの時代にも言えることだと思います。

歴史を振り返ると、現代の企業経営にも通じるヒントがたくさんありますね。

*1:江戸時代の刑罰の一つ。追放以上の刑に付加される刑罰。その領地または財産などを官に没収すること。