やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

100名城の旅・その47〜飫肥城

久しぶりの100名城探訪。
今回は宮崎県の飫肥城へ行ってきました。

飫肥城大手門
To Instagram

飫肥城址はJR日南線飫肥駅からすこし離れたところにありました。
もともとの市街と最寄駅が離れているのはよくある話ですね。
この大手門は昭和の時代に再建されたものだそうです。

飫肥城本丸跡

飫肥城は明治時代にほとんどが破却され、本丸跡には飫肥小学校が建てられましたが、本丸の一部は残っていました。
本丸跡には江戸時代の藩を支えた飫肥杉がたくさん生い茂っていました。

飫肥城歴史資料館

本丸には飫肥城歴史資料館がありました。
令和4年にリニューアルしたそうで、内部は見どころがいっぱいでした。

伝伊東祐兵着用鎧

飫肥藩は戦国時代に島津氏と抗争を繰り広げた伊東氏が江戸時代を通じて藩主を務めており、資料館には伊東氏ゆかりの展示物が数多くありました。
この鎧は、伊東氏中興の祖にして飫肥城初代藩主であった伊東祐兵の鎧と伝えられているものだそうです。

豫章館

飫肥城址は往時から大きく変わっていますが、城下町には当時の面影を残すところもあり、時間の許す限り散策していました。
時間が限られていたのですべては無理でしたが、いろいろと見ることができて良かったです。

100名城の旅・その46〜月山富田城

松江から車を使い、今度は安来市へ。
中海から飯梨川沿いを上流に向かったところに目指す月山富田城跡がありました。

安来市立歴史資料館
To Instagram

まずは100名城スタンプが置かれている安来市立歴史資料館へ。
1階の展示は無料で見ることができました。
ただし、2階の企画展については料金を払う必要があります。

月山富田城の麓
To Instagram

月山富田城の本丸跡までは、登城というよりは登山ですね。
時間の都合もあり、今回は麓から少し登るだけにしました。
城跡にたくさんの幟が立てられており、麓からも見ることができました。

千畳平への坂道
To Instagram

麓から千畳平まででもこのような山道でした。
本丸へ行くまでの大変さが思いやられます。
あの名将毛利元就兵糧攻めでしか攻め落とせなかったのも無理はないと思いました。

千畳平
To Instagram

千畳平に到着。
幟には平四つ目結の紋が描かれていました。
平四つ目結紋は尼子氏の家紋ですが、もともとは近江の名族、佐々木氏の流れをくむ京極氏の家紋で尼子氏はその分家です。
近江の尼子郷に居住したことから尼子氏を名乗ったと言われており、滋賀県には今でも尼子という地名が残っています。

千畳平から中海方向
To Instagram

千畳平から中海方向を撮影。
天気が良ければ中海も見ることができたかなと思います。
意外に中海に近い印象を受けました。
戦国の世にあっては、安来の港に近く堅牢な山城であったこの城が尼子氏にとっても有用だったのだろうと思います。

馬乗馬場
To Instagram

千畳平の横にある馬乗馬場。
こちらにも尼子氏の幟が立っていました 。

山中幸盛の銅像
To Instagram

千畳平から少し登ったところにあの山中鹿介こと山中幸盛銅像がありました。
このポーズは有名な「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったものですね。
山中鹿介は滅亡後の尼子氏再興を図って各地を転戦した忠臣として知られていますが、一方で三日月への祈りの言葉ゆえに、日本最初のM男さんといじられることも一部ではあるようです。

もう少し散策したかったのですが、帰阪の特急の発車時刻が近づいていたので止むなく米子へ。
久しぶりに城めぐりができて良かったです。

100名城の旅・その45〜松江城

昨日まで5日間かけて山陰を旅してきました。
この旅行のてん末はまた後日書くとして、今回は2日に分けて旅行中に訪れた100名城の感想を書きたいと思います。

松江城

まずは松江城から。
今回は米子駅で車を借りて歴訪することにしました。
松江城南側の大手前に駐車場があったので、そこに車を停めて城内を散策することに。

堀尾吉晴公の像
To Instagram

大手前から松江城に入城。
入口には松江を開いた堀尾氏の祖堀尾吉晴公の銅像がありました。

松江城大手前
To Instagram

松江城大手門跡より。
すぐ目の前にあの歴史ある天守閣が見えてきました。

松江城天守閣
To Instagram

国宝指定されている天守閣は全国で5城のみ。
その1つがこの松江城天守閣です。
松本城犬山城彦根城、姫路城、松江城
これで国宝5城全ての登城を達成しました。
ただし、100名城探訪開始前に登城した松本城は再度の登城が必要ですが。

松江城の旧鯱
To Instagram
松江城天守閣内の井戸
松江城天守閣内の大太鼓

天守閣内部はいずれの展示物も撮影可でした。
撮影し損ねましたが国宝指定の決め手となった祈祷札のレプリカも見ることができました。

松江城天守閣からの眺め
To Instagram

天守閣最上階からの眺め。
宍道湖を間近で見ることができました。
いずれも日本海へと繋がる宍道湖と中海、そして両方の湖を繋ぐ城の南を流れる大橋川。
堀尾氏がいかに水運を重視したかがよく分かりますね。

松江城天守閣の国宝指定書
To Instagram

天守閣最上階に国宝指定書が展示されていました。
附(つけたり)に国宝指定の決め手となった「祈祷札二枚」も書かれています。

興雲閣

興雲閣
To Instagram

天守閣に隣接する興雲閣にも行ってきました。
こちらは皇太子時代の大正天皇が、山陰を行啓した際のご宿泊所として利用されたそうです。

興雲閣の貴顕室
To Instagram

皇太子時代の大正天皇がご宿泊した貴顕室は2階にありました。
全国各地の行在所などとも共通しますが、とても豪華な装飾がなされていました。

他にも城内を探索したかったのですが、松江歴史館が休館日だったこともあり、松江城探索はここまで。
次は月山富田城へ向かいます。

100名城の旅・その44〜根室半島チャシ跡群

今回の北海道旅行の詳細は帰阪してからまとめようと思っていますが、今日、100名城の一つである根室半島チャシ跡群を見に行ってきましたので、先行して書いておこうと思います。

まずは100名城のスタンプですが。
もともとは花咲港に近い根室市歴史と自然の資料館だけに置かれていましたが、根室駅や東根室駅からはさすがに遠いこともあってか、根室駅に隣接する根室市観光インフォメーションセンターにも置かれています。

ポンモイチャシ跡
To Instagram

アイヌの城跡であるチャシ跡群は根室半島全域に点在しているので、訪ねるには路線バスや車などの利用は必須です。
もともと納沙布岬への観光も兼ねていたので、今回は納沙布岬に近いポンモイチャシ跡に行ってきました。
跡には標柱だけが立っていました。
標柱の後背にあるのがチャシ跡でしょうか?
何となく人の手がかかっているような気はしました。

他の日本式の城郭に比べれば、遺跡のような印象を受けました。
時間の都合上、ポンモイチャシ跡だけの訪問でしたが、他のチャシ跡はどんな感じなんでしょうかね?
また根室に行くことがあれば立ち寄ってみたいです。

100名城の旅・その43〜一乗谷城

f:id:yaneshin:20210710063809p:plain

今回の福井・石川の旅で100名城は、一乗谷城こと一乗谷朝倉氏遺跡だけ行って来ました。
丸岡城や七尾城は近くを通ったのですが、時間の都合で城跡には行けず、今回は断念。
北陸方面はよく旅行に出かけるので、また後日訪ねようと思います。

一乗谷復原町並
To Instagram

一乗谷朝倉氏遺跡は、県道18号線を挟んだ両側にありました。
西側には戦国大名朝倉氏時代の復元された町並みが公開されていました。
武家屋敷や町屋の一部が復元されていて、朝倉氏五代の栄華を少しだけ偲ぶことが出来ました。

朝倉館跡唐門
To Instagram

朝倉氏の本拠、朝倉館跡の唐門。
唐門そのものは朝倉館の遺構ではなく、朝倉氏滅亡後に建てられたものだそうです。
この奥に、平時朝倉氏の当主が政務を執っていた朝倉館があり、今でも礎石や庭園跡が残っていました。

一乗城山
To Instagram

城郭としての一乗谷城があった一乗城山。
当日は大雨でさすがに山上の遺構を訪ねることは出来ませんでしたが、結構な高さの山で防御に優れた山城だったことは伺えました。

一乗谷川
To Instagram

一乗谷の中心を流れる一乗谷川。
北国街道から離れたこの一乗谷に、なぜ朝倉氏が本拠を置いたのかが個人的には疑問だったのですが、実際に現地に来てみると、南北に細長い地形で東西は高い山と言うことで非常に守りに適した地形なんですよね。
また、大野から美濃へ抜ける街道が近くを通っていたこともあり、当時としては交通の要衝を押さえていたのだろうとも思いました。
今では静かな山間部ですが、必ずしも今の尺度では測れないことを感じさせられました。

100名城の旅・その42〜広島城

今回の旅では、愛媛県の3つの城だけに行く予定だったのですが、広島駅で新幹線に乗り換える際に時間が空いたので、急遽広島城へも行くことにしました。

広島城は広島駅から西に行ったところにあります。
広島と言えば路面電車なので、今回は広島駅前から路面電車を利用して行きましたが、後からバスで合同庁舎前まで乗る方が早くて安いと知りました。

f:id:yaneshin:20201111154629j:plain:w400

To Instagram

広島城は南の表御門から入りました。
表御門は他の二の丸の建物と同様に、平成に入ってから再建されたものです。
原爆投下による倒壊から再建までにどれほどの時間と労力が必要だったかが良く分かります。

f:id:yaneshin:20201111154756j:plain:w400

To Instagram

広島城は別名「鯉城」と呼ばれているそうですが、実際に堀にはなくさんの鯉が元気良く泳いでいました。

f:id:yaneshin:20201111154812j:plain:w400

To Instagram

広島城は明治に入り広島鎮台が置かれたことから、旧軍関係の遺構も残っています。
この広島大本営跡もその一つです。
もともと広島鎮台(後の第5師団)の司令部として使われていましたが、日清戦争時に明治天皇行幸した際にこの地に大本営が置かれました。
建物は原爆投下の際に倒壊し、今は礎石だけが残されています。

f:id:yaneshin:20201111154826j:plain:w400

To Instagram

そしていよいよ広島城天守閣へ。
1958年に再建された外観復元天守です。
内部はコンクリート製で堅固な造りになっていました。

天守閣内部は、広島城を築いた毛利氏、毛利家の後に広島を支配した福島氏、そして、福島家改易後に幕末まで広島を支配した浅野氏の三氏の事績が数多く展示されていました。
藩としての事績だけではなく、あの頼山陽の父で広島藩儒学者として仕えた頼春水についての展示もあり、政治から文化まで幅広い展示があり非常に勉強になりました。

近くに藩主の浅野氏の別邸である縮景園があったのですが、そちらは行けずじまいだったので、次回広島に行く際には広島城と共に立ち寄ってみたいと思います。

100名城の旅・その41〜大洲城

愛媛県の100名城巡り、今回最後の城は伊予大洲にある大洲城です。
まずは、松山駅からJRで伊予大洲駅へ。

伊予大洲駅からは徒歩で大洲城に向かいました。
およそ30分ぐらいですね。
駅からは南に歩いて肘川を渡ったところにあります。

f:id:yaneshin:20201109093420j:plain:w400

To Instagram

大洲城については予備知識が全く無かったので、本丸から天守台に登ろうかななどと思っていたら、目の前には立派な城郭が。
一見すると新しい感じの天守閣なので、街おこしで模擬天守を造ったのかなと思ったのですが。

f:id:yaneshin:20201109093434j:plain:w400

To Instagram

どうやら明治時代に破却された天守閣が、平成の時代に再建されたそうです。
しかも木造で、江戸時代の図面を参考にして一からの再建という、なかなかガチな天守閣でした。

天守閣から肘川を眺めてみましたが、なかなか良い眺めでした。

f:id:yaneshin:20201109093458j:plain:w400

To Instagram

松山に戻る列車の時刻までにまだ時間があったので、大洲城の東にある臥龍山荘にも立ち寄ってきました。
明治時代に建てられた、肘川沿いの数寄屋造りの別荘でとても趣がありました。

f:id:yaneshin:20201109093517j:plain:w400

To Instagram

もちろん庭園も趣がありました。
このように花が添えられていると、とても風情を感じます。

f:id:yaneshin:20201109093747j:plain:w400

To Instagram

庭園ではこのような石像も。
お腹の出具合が私にそっくりと妻が言ってました。(涙)

f:id:yaneshin:20201109093803j:plain:w400

To Instagram

臥龍山荘の庭園を抜けた肘川に面した所に不老庵という建物が建てられていました。
少し座らせてもらいましたが、肘川に面しているためにとても良い眺めでした。
このような所で川の流れをずっと眺めていたいと思いました。

この臥龍山荘は大洲城との共通入場券を購入すると割引があります。
どちらも一見の価値はある建物なので、両方訪ねることを是非お勧めしたいですね。

100名城の旅・その40〜湯築城

松山城の次は、同じ松山市内にある湯築城跡へ。
城跡は道後温泉街に隣接した道後公園内にあります。
伊予鉄道路面電車道後温泉行きに乗り、道後温泉駅の一つ手前の道後公園駅で下車すると、そばに入口があります。

f:id:yaneshin:20201109072956j:plain:w400

To Instagram

西口から入りました。
入口には湯築城の大きなのぼりが立っていました。

f:id:yaneshin:20201109073022j:plain:w400

To Instagram

100名城のスタンプは湯築城資料館にありました。
資料館への入場は無料で、湯築城の主であった河野氏の治績や城跡からの発掘物などが展示されており、動画も見ることが出来ました。

f:id:yaneshin:20201109073037j:plain:w400

f:id:yaneshin:20201109073051j:plain:w400

To Instagram

城山の頂は展望台になっていました。
展望台からは松山城天守閣がよく見えました。
ちなみに松山城築城の際には、この湯築城の部材なども流用されたそうです。

f:id:yaneshin:20201109073116j:plain:w400

To Instagram

道後公園内に昔の湯釜が鎮座していました。
8世紀に造られた我が国最古の湯釜だそうで、あの一遍上人の書で「南無阿弥陀仏」と彫られているそうです。
長らく使われていましたが、道後温泉本館の新築を機に道後公園内のこの場所に移されたそうです。

f:id:yaneshin:20201109073134j:plain:w400

To Instagram

道後公園の北側にあの正岡子規の博物館がありました。
観に行きたかったのですが、時間の都合上、今回は泣く泣く断念しました。
また松山に来た時に行ってみようと思います。

道後温泉街に隣接した場所にあるので、湯治がてら登城するのも良さそうです。
交通の便も良いですし、松山城とセットで登城すると良いと思います。

100名城の旅・その39〜松山城

久しぶりに100名城の旅にも行ってきました。
今回は愛媛県内の城を歴訪してきました。
まずは松山城へ。

松山城松山市街の中心にあり、周囲を伊予鉄道路面電車が走っています。
JR松山駅から道後温泉行きに乗り、大街道停留所で下車すると北に歩いた所に本丸へのロープウェイやリフトの乗り口があるので松山城へ行くにはおすすめですね。

f:id:yaneshin:20201109055804j:plain:w400

To Instagram

ロープウェイとリフトの乗り場は城の東側にあり、料金はどちらも片道270円です。
個人的にはリフトがおすすめですね。
好天で風が心地よく、眼下の眺めも楽しめました。

f:id:yaneshin:20201109055820j:plain:w400

To Instagram

松山城はもともとは賤ヶ岳の七本槍の一人である加藤嘉明によって築城されました。
その後、嘉明は会津へ転封、蒲生氏による支配の後、久松松平家の松平定行が15万石で入部、幕末まで支配が続きました。
伊予の久松松平家徳川家康の異父弟定勝を祖とする家系で幕府からは親藩(御家門)の扱いを受けていました。
伊予松山に配置されたのは、もちろん外様大名宇和島伊達家などへの抑えでしたが、御家門だったこともあり、その後、松山城は度々火災に見舞われますが、その都度建物が再興されています。

また、明治維新後廃藩になっても、旧藩主と家臣団の繋がりは続いたことや、松山城そのものが大正時代に旧藩主家に払い下げられたこともあり、天守も含め、非常に保存の良い状態で残されています。

f:id:yaneshin:20201109055838j:plain:w400

To Instagram

天守閣から松山市街を眺望。
良い眺めでした。

100名城の旅・その38〜津山城

久々に100名城の旅へ。
今回は津山城を訪ねてみました。

To Instagram

津山駅から20分ほど北に歩いたところに津山城址の鶴山公園の入口がありました。
石段は少し段差があり、登るのに苦労しました。

To Instagram

津山城の建物は明治初期に天守閣をはじめ、全て破却されました。
非常にもったいない話ですね。
唯一城の建物として見えるこの備中櫓は、平成の時代に復元されたものだそうです。

To Instagram

備中櫓の内部は本来の櫓というよりは、全て畳敷きの御殿の内部のような作りになっていました。
他の城の櫓のイメージで入ってみたので、若干ギャップを感じましたね。

To Instagram

備中櫓に隣接して天守跡がありました。
ここに4重5階の天守がありましたが、前述の破却により今では天守台だけが残っています。

To Instagram

天守台にはこのようなハート型の石がありました。
非常に珍しい形の石で「愛の奇石」と銘打たれていました。
ちょっとした撮影スポットになっているようで、石を背景に記念写真を撮る家族連れも見かけました。

To Instagram

天守台から津山市街を撮影。
津山藩が置かれた美作国因幡国備前国に挟まれた山国で、平地はこの津山盆地の他数えるほどしかありませんでした。
そのため独立した勢力が育たず、室町時代から戦国時代にかけては守護大名戦国大名の草刈り場になっていたようですね。
津山が今のような姿になったのは、森忠政美作国に藩主として封じられてからで、津山城の築城を始め、城下町の整備や吉井川の改良などを通じて、今の津山の基礎を築き上げました。
信州では高坂氏族滅の俗説や一揆への苛烈な処分などで評判が悪かった森忠政ですが、この津山では銅像が建立されるなど顕彰が行われていて、評価の違いをとても感じました。

中国地方の100名城巡りがまだまだ進んでいません。
今回は時間の都合で他の岡山県の城巡りは断念しましたが、なるべく早く他の城も訪ねてみたいですね。

100名城の旅・その37〜五稜郭

函館に行ったら五稜郭に行かないわけにはいかないと、ホテルに投宿後、早々に市電で五稜郭公園に向かいました。
同時に松前城も行こうかなと思っていましたが、あまりにも距離が遠いので、今回は断念しました。
分かってはいましたが、北海道は本当に広いです。


五稜郭タワー

To Instagram

まずは五稜郭の全景が見たかったので、公園に隣接する五稜郭タワーに登ってきました。
タワーは有料ですが、チケット売り場に100名城のスタンプが備え付けられています。
展望フロアには、五稜郭の建設の経緯や箱館戦争の流れを記したパネルが展示されていました。

To Instagram

展望フロアからは五稜郭の全景をはっきりと見ることができました。
すべてを撮影できませんでしたが。
写真では何度も見ましたが、実際に見てみるとその緻密さに本当に圧倒されます。

五稜郭公園

To Instagram

タワーを降りて、今度は五稜郭公園内へ入りました。
公園内の石垣1つを見ても、非常に精密に作られていて、さすがは近代の城郭だと思いました。

To Instagram

五稜郭の中心にある再建された函館奉行所の建物。
明治時代に解体されたものを平成22年に再建したものだそうです。
残念ながら時間が間に合わず、中を見ることは出来ませんでした。

天守閣や本丸御殿など、日本の城が備えているものは全然ありませんが、それでも戊辰戦争最後の戦いの箱館戦争の生き証人ですし、我が国で造られた現存する西洋式城郭であり、一見の価値は大いにあると思います。
タワーから全景を見て、その後に公園内を散策してみると良いのではと思います。

100名城の旅・その36〜久保田城

フルムーンパスの旅と同時並行で100名城も探訪。
まずは秋田ということで、佐竹氏の居城があった久保田城跡へ行ってきました。
あいにくの雨だったので、昨日と今日と分けて巡ってきました。


佐竹史料館

To Instagram

昨日は降雨がひどかったので、先に藩主佐竹氏累代の資料が展示されている佐竹史料館に行ってきました。

To Instagram

館内で目立ったのは、佐竹氏の家紋「五本骨扇に月丸」の旗印の多さでした。
家紋の中の「五本骨扇」は源頼朝から拝領したという言い伝えがあるそうで、さすがは新羅三郎義光以来の名家と思いました。
その後、佐竹氏は「五本骨扇」以外に様々な家紋を使用しています。
みなもと太郎先生の「風雲児たち」では佐竹氏の家紋として源氏香の花散里が描かれていましたが、これも佐竹氏の数ある家紋の1つだったわけですね。

藩祖佐竹義宣公の甲冑もいくつか展示されていました。
いずれも熊の毛で作られた毛虫があしらわれています。
毛虫は前に進むので「後ろにひかない」という意味があるそうで、剛勇で鳴らした義宣公らしい甲冑だと思いました。

久保田城跡(千秋公園

To Instagram

今日、雨がほぼ止んだので、秋田駅を出発する前に佐竹氏の居城である久保田城に「登城」してきました。
まずは表門から入城してみました。

To Instagram

城内の建造物は火災で既に遺構は失われ、いくつかの門や櫓は戦後に再建されていました。
この御隅櫓もその1つです。
中では歴代藩主の治績が展示されていました。

To Instagram

第12代藩主にして最後の藩主佐竹義堯公の銅像
藩主として、他の奥羽諸藩と異なり官軍側につく決断をし、藩存続に尽力した名君として称えられているそうです。
その後、佐竹氏は侯爵として華族に列せられましたが、その後も代々の当主はかつての所領であった秋田のために尽力し、居城が公園として整備されたのも、その1つだったそうです。
多くの藩主が版籍奉還廃藩置県でかつての所領との繋がりが切れていく中で、非常に珍しい事例と言えるのかもしれませんね。

100名城の旅・その35〜甲府城

昨日着いたのが遅く、翌朝の出発も早い予定だったので、甲府の城巡りは諦めていたのですが、朝、身延線に乗る前に時間に余裕が出来たので、甲府駅近くの甲府城跡だけですが登城してきました。
もう一つの百名城の武田氏館は次の機会ですね。

武田信玄公像

To Instagram

まずは甲府駅前の武田信玄公の像。
甲府駅南口前に鎮座しています。
あまりにも有名ですね。
甲府に行った際には是非行かねばと思っていました。

甲府城天守台

To Instagram

甲府城跡は甲府駅の西側に舞鶴城公園と甲府市歴史公園として整備されています。
二つあるのは、中央本線敷設の際に城域が南北に分断されたためです。
それでも、江戸幕府が軍事上の要衝として重視していただけあり、城域は広く、本丸の石垣も立派でした。
北の甲府市歴史公園にも行きたかったのですが、今回は天守台とスタンプがある鶴舞城公園だけ行ってきました。

稲荷櫓

To Instagram

スタンプは公園北の稲荷櫓と南の公園管理事務所にあります。
今回は甲府駅に近い稲荷櫓でスタンプを押印しました。
この稲荷櫓は2016年に再建されたそうで、城好きとしては、こうして建物が復元されるのはとても嬉しいですね。

電光掲示板

To Instagram

甲府駅構内にこのような電光掲示板が。
2019年に信玄公の父武田信虎躑躅ヶ崎に館を構えてから500年になるということで、様々なイベントが催されるようです。
せっかくなので、来年日程の都合が取れれば再び来てみたいですね。

100名城の旅・その34〜長篠城

長篠城駅

To Instagram

久々の100名城巡りです。
今回は、あの長篠の戦いで有名な長篠城へ。
まずは、豊橋から飯田線長篠城駅まで。

長篠城址史跡保存館

To Instagram

100名城スタンプは、長篠城駅から西に10分弱歩いた長篠城址史跡保存館にあります。
長篠城址はこの史跡保存館に隣接しています。

血染の陣太鼓

To Instagram

史跡保存館には、長篠城を守っていた奥平家の「血染の陣太鼓」などが展示されていました。
また、武田信玄公の遺言の複製なども展示されていました。
信玄公の遺言には名だたる武田の武将が連署していましたが、その中に「真田安房守」の署名も。
安房守と言えば真田昌幸ですが、年代から考えると昌幸は武藤家に養子に行っていたはずなので、父の真田幸隆か兄の信綱かもしれないですね。

長篠城址

To Instagram

隣接する長篠城址も見てきました。
跡地は芝生できれいに整備されていました。
飯田線がすぐ側を走っていますので、電車からも眺めることができます。

長篠の合戦場はかなり広範囲なので、史跡を散策するだけで1日がかりになりそうですが。
少しずつ史跡を訪ねるだけでもいいのかもしれません。

100名城の旅・その33〜上田城

上田城の東虎口櫓門

To Instagram

真田家が二度にわたって徳川家と戦った舞台である信州上田城へ行ってきました。
まずは上田駅から徒歩で上田城跡へ。
入り口の東虎口櫓門は南北に櫓がある立派なものでした。
ちなみにこれらの櫓や門は、真田家が松代に転封された後に入封した仙石氏によって建築されたもので、真田家時代の城郭は第二次上田合戦の後に破却されています。

眞田神社

To Instagram

本丸内には眞田神社が鎮座していました。
もともとは明治時代に旧藩主家であった松平家の歴代藩主を祀るために創建されましたが、戦後にかつての城主・藩主であった真田家と仙石家の当主も合祀されて現在に至っているそうです。

尼ヶ淵

To Instagram

城内から尼ヶ淵を臨んでみました。
思ったよりも高低差があり、本当に攻めにくい城だったんだなあと実感しました。

駕籠

To Instagram

櫓は南北の櫓と西櫓が現存していますが、その内南北の櫓には様々な展示物がありました。
上の写真に写っている駕籠は、真田信之正室稲(小松殿)が旅先で亡くなった後、遺骸を上田城まで運ぶために使われたと伝わるものです。
ちなみに上田城跡の西にある芳泉寺に、稲の墓があります。

城跡には博物館や大河ドラマ館があり、真田家に関する資料が数多く展示されていました。
前述した通りに真田家は松代へと去りましたが、今もなお上田の人々の中では真田の存在が大きいことがとても良く分かった旅でした。