やね日記

或る大阪在住Mac使いの道楽な日々

100名城の旅・その17〜観音寺城

先月に滋賀県の城巡りをしたのですが、時間の都合で行けなかった城がありましたので、今日、再挑戦してきました。
まずは近江の名門佐々木氏の嫡流・六角氏の居城であった観音寺城
駅前で近道だと聞いた方から城跡へと向かったのですが、かなり急斜面でした。
ここは、車で行く方が楽かもしれませんね。
石段を上がり切ったら、そこは西国札所の名刹でした。
それだけに整備もされていましたし、ゴールデンウィークのせいか、人も多かったですね。

そして、寺の横の細道から本丸跡へ。
お寺とは打って変わった寂しい所でした。
まあ、まだ竹田城に比べれば、石垣はしっかりと残っているように感じました。
もう少し周辺を整備した方がいいのではないかとは思いましたけどね。

100名城の旅・その16〜彦根城

次に向かったのが、徳川譜代筆頭井伊氏の居城である彦根城
さすがに譜代筆頭だけあって、堂々とした城郭でした。
まあ、彦根城に来た目的は、あの井伊直弼が部屋住み時代を過ごした埋木舎を見学することだったのですが。
彦根城のど真ん前というロケーションの良さと埋木舎の内部の静けさとコントラストが本当に印象的でした。
井伊直弼は攘夷派を徹底的に弾圧した強硬派として知られていますが、そのよって立ったものが、部屋住みの一生となるはずだった自身が彦根藩主・大老となったことで、より強く徳川将軍家の藩屏たらんとした意識だったのかもしれませんね。
人は、信念を持てば持つほど、より残酷になるものなのかもしれません。

天守閣はやはり立派なものでした。
天守閣からは琵琶湖を一望出来ますし、ちょうど満開の桜とが相まって、素晴らしい風景を演出していました。
で、その天守閣前に、ちょうどあのひこにゃんがいたので写真におさめました。
現物はとても可愛かったですね。

100名城の旅・その15〜小谷城

四城を制覇するために今日、滋賀へと出かけたのですが、残念ながら半分しか行けませんでした。
一番に出かけたのは、あの浅井長政の居城であったこの小谷城
北陸本線河毛駅から城跡まで向かったのですが、徒歩ではさすがに遠いですね。車で直接行く方が楽だと思います。
城というよりは山でした。さすがに本丸まで登る時間が無かったので入口付近を散策していたのですが、ほとんど面影がありませんでした。
まあ、浅井氏滅亡後は拠点が長浜へと移りましたし、近隣の市街からも離れていますしね。
諸行無常や盛者必衰といった言葉を思い浮かべながらの城跡の旅でした。

100名城の旅・その14〜鳥取城

f:id:yaneshin:20100221094813j:plain:w160 f:id:yaneshin:20100221095058j:plain:w160 f:id:yaneshin:20100221095313j:plain:w160

蟹を堪能した翌朝に、鳥取市内にある鳥取城へ行ってきました。
もともとは戦国時代の築城らしく山城からスタートしたのですが、そのまま江戸時代には藩庁として利用された珍しい例ですね。山城らしく、戦国時代には堅城としてその名を轟かせた城でもあります。
さすがに本丸の頂上までは行けなかったのですが、復元された城門や池田家ゆかりの洋館・仁風閣などを見る事が出来たので楽しかったです。
今度時間がある時は、じっくりと本丸までも見ておきたいですね。

100名城の旅・その13〜岡崎城

f:id:yaneshin:20091122091911j:plain f:id:yaneshin:20091122092302j:plain

今日は帰阪する前に岡崎城に行くことに。
余裕をもって岡崎に向かったつもりだったのですが、名古屋から岡崎までは思ったよりも時間がかかったため、滞在時間は30分程度でした。
正門は北側にあるのですが、東岡崎駅から天守閣に向かうには、南の乙川沿いから入る方が近いですね。
市街から少し離れているためか、閑静なたたずまいのお城でした。

100名城の旅・その12〜犬山城

f:id:yaneshin:20091121071439j:plain f:id:yaneshin:20091121102807j:plain f:id:yaneshin:20091121103004j:plain

今日は名古屋で会合があったので、少し早めに出かけて愛知県内の城めぐりをすることにしました。
まずは、木曽川沿いにある犬山城
大阪難波から近鉄名古屋まではアーバンライナー名鉄名古屋から犬山遊園まではミュースカイを利用して行きましたので、思ったよりも早く着くことが出来ました。

f:id:yaneshin:20091121103652j:plain f:id:yaneshin:20091121104939j:plain f:id:yaneshin:20091121105902j:plain

犬山城は、尾張藩附家老であった成瀬家の居城でした。
普通の家老と違い、御附家老として尾張藩主の補佐を幕府より直々に命じられていたために、他の大名並の城主としての扱いを受けていたようです。
木曽川に面して建てられた天守はなかなかの威容を誇り、天守閣からの眺望も抜群でした。
ちなみに、以前は藩主家だった成瀬家の個人所有のお城だったのですが、今は財団に移管されているようですね。
やはり、個人での維持というのは年々難しくなってきているのでしょうね。

f:id:yaneshin:20091121125158j:plain

おまけ。
犬山城見物の後は名古屋にとんぼ返りして、矢場とんのわらじとんかつを食べました。
やはり、味噌かつは美味いですね〜。
城と食を共に楽しんだ旅でした。

100名城の旅・その11〜竹田城

続いては、「天空の城」の異名を持つ竹田城
篠山から竹田城のある朝来まで、地道では相当時間がかかると覚悟していたのですが、北近畿豊岡自動車道のおかげで思ったより早く着くことができました。

f:id:yaneshin:20090922134632j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090922134546j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090922135709j:plain:w160

竹田城は、応仁の乱の西軍総大将として有名な山名持豊(宗全)によって築城されました。
築城開始当時、但馬国は山名氏、丹波国細川氏、そして播磨国は赤松氏がそれぞれ守護職にあり、当初は国境の防衛が目的であったようです。途中、嘉吉の乱により赤松氏が没落して山名氏が播磨守護となった時期もあり、応仁の乱を経て再び赤松氏が播磨守護となるなど目まぐるしく変遷しましたが、一貫して竹田城は長らく但馬街道を守る城塞として機能してきました。
話は変わりまして、竹田城に登ってみて驚いたのは、山城であるにも関わらず大手門跡まで舗装された道路が続いていたことです。
中腹にも駐車場がありますし、意外に楽に登城することができました。

f:id:yaneshin:20090922140748j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090922141131j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090922141053j:plain:w160

そして、頂上にある天守台へ。
さすがに「天空の城」の異名を取るだけあって、素晴らしい風景でした。
長年に亘って風雪にさらされた石垣の群れも壮観ですが、和田山盆地も一望出来て、とても清々しい気分になりました。

f:id:yaneshin:20090922135109j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090922143332j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090922143338j:plain:w160

最後に。
竹田城に向かうには、駐車場から二通りのルートがあるのですが、ここは迷わず「急がば回れ」です。
近道のルートは、登りはもちろん、帰りの下りもあまりお勧めは出来ません。
登山慣れされている方は別ですが、普段山に登る経験が無ければ、距離は長いですが遊歩道の方がお勧めですね。

100名城の旅・その10〜篠山城

今日は、兵庫県内陸部の城巡りをしてきました。
まずは篠山城

f:id:yaneshin:20090922103415j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090922103448j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090922103825j:plain:w160

山陰道の要衝・篠山盆地にある篠山城は、西国の外様大名への抑えとして江戸時代初期に築城されました。
方形に整備された城郭を見ると、堅牢さを旨として築城されたのがよく分かります。
ここにも天守閣が無かったのですが、焼失したのでは無く、これ以上の堅牢さは無用という幕府の方針があったとも伝えられているようですね。現場を見てみるとさもありなんと感じました。 天守台からの見る篠山盆地の風景はなかなか良かったです。

100名城の旅・その9〜名古屋城

少し所用で名古屋に行ったので、ついでに名古屋城に立ち寄ってきました。
さすがに愛知の他の城には寄れませんでしたが。
愛知県は広いですね。

f:id:yaneshin:20090814150659j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090814145046j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090814145340j:plain:w160

以前にも行ったことがあるので、写真は最小限に。(汗)
天守閣のたもとでは本丸御殿の工事が粛々と進められていました。
平成29年完成予定だそうで、とてつもない大工事のようです。
また、ちょうど名古屋城宵まつりが開催されているようで、城内は提灯がずらりと並んでいました。
所用があったので夜は行けなかったのですが、城内はさぞかし賑やかだったでしょうね。

100名城の旅・その8〜明石城

100名城の旅、本日のラストは明石城
JR明石駅を降り立つと、すぐ側に見えていました。

f:id:yaneshin:20090812173007j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812173349j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812173643j:plain:w160

残念ながら、時間の都合で巽櫓と坤(ひつじさる)櫓だけしか写真に収めることが出来ませんでしたが。
天守閣は無いものの、堂々とした風格の城跡でした。
時間が出来れば、またの機会に本丸をゆっくりと散策したいですね。

100名城の旅・その7〜姫路城

次は播州赤穂から播磨地方の中心都市姫路へ。
お目当てはもちろん、国宝四城の一つ姫路城。

f:id:yaneshin:20090812155046j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812155402j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812155654j:plain:w160

JR姫路駅から大手前通りを北上すると、目の前にはあの壮大な白い天守閣が見えてきます。
で、早速登城してみたのですが、天守閣までたどりつくのがとても大変でした。
まあ、城内だけでも20ヘクタール以上あったそうですので、本当に大規模な城だと思いました。

f:id:yaneshin:20090812155825j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812160116j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812162621j:plain:w160

そして天守閣へ。
今でも「白鷺城」と呼ばれる威容を誇っていますが、これから5年をかけて平成の修理が行なわれるそうで、修理完了後にはより白い天守閣が復活するのだろうと思います。
そして、あの播州皿屋敷で有名なお菊の井戸が、天守閣のたもとにありました。
播州皿屋敷は戦国時代の頃のお話だったのですね。
番町皿屋敷のイメージが強くて、江戸時代のお話と思っていました。
夜に見に行けば、夏の納涼にはいいかもしれないと思いましたが、さすがに閉まっているでしょうね。

100名城の旅・その6〜赤穂城

珍しくお盆に休暇を取ることが出来たので、兵庫県南部の名城を歴訪することにしました。
遠くから戻る方が効率が良いと思い、まずは西端の赤穂城から行ってきました。

f:id:yaneshin:20090812125259j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812125526j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812125932j:plain:w160

まずは北側の大手門から入城。
大手門を入ってすぐに、あの忠臣蔵で有名な大石良雄(内蔵助)の邸宅跡があり、その一帯が赤穂四十七士などを祀る大石神社になっていました。
大石邸は長屋門が残されており、当時を偲ぶことができます。

f:id:yaneshin:20090812130553j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812130843j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090812130933j:plain:w160

そして本丸。
城内の構造物は戦後から再建し続けられているために、とても綺麗でした。
本丸内には天守台と本丸御殿跡があり、後者は平面的に再現されていました。
ちょうど二之丸庭園が整備中であるなど、城内は時間をかけて整備され続けられており、ますます城らしくなっていくものと思われます。

100名城の旅・その5〜二条城

千年の王城、京都。
西暦700年代以来、碁盤の目の如く整備された大路少路に天皇と公家衆が住まう地だったのですが、そのど真ん中に武家の城郭があります。
その洛中の城の名は二条城。
徳川幕府の開幕と終焉を共に見届けた地です。

f:id:yaneshin:20090628115412j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090628112927j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090628114002j:plain:w160

1603年に徳川家康はこの二条城で将軍宣下を受けることで徳川幕府が開幕しました。
そして、1867年に徳川慶喜がこの二条城で諸侯に大政奉還を諮問し、翌日に大政奉還を朝廷に上奏することで徳川幕府は終焉を迎えました。
その大政奉還を諸侯に諮問したのが二の丸御殿ですが、残念ながら時間の都合で中に入ることができませんでした。
ただ、風情のある庭園を見ることは出来たので良かったです。
そして、最後に天守閣跡に登りましたが、展望台のようになっていました。
ここには五層の天守閣があったそうですが、焼失したのは本当に残念でしたね。
もし残っていれば、京都タワーよりも風情のある展望台代わりになっていたと思うんですけどねえ。

100名城の旅・その4〜和歌山城

今日は天気が良かったので、ドライブがてら和歌山まで行ってきました。
しかし、100名城の内、近畿2府4県だけでも14の城があるんですよね。
今回の和歌山城を除けば、あと11城。
近畿を制覇するだけでも時間がかかりそうです。

f:id:yaneshin:20090510112659j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090510112854j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090510115638j:plain:w160

和歌山城は、さすがに親藩御三家の一つ紀州徳川家の居城だけあって、城構えはなかなか雄大でした。
ただ、天守閣は割に質素な印象を受けましたね。
まあこれは、さすがに御三家と言えども、将軍家には色々と遠慮をしなければならない事情もあったようです。
事実、藩祖頼宣公が和歌山城の大改修をした時には、幕府から謀反の嫌疑をかけられたという事もあったそうですし。
ただ、天守閣の中には、色々と紀州徳川家ゆかりの展示物がたくさんあって、それらを見て回るだけでも飽きなかったです。

f:id:yaneshin:20090510145623j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090510120812j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090510121720j:plain:w160

残念ながら二之丸や西之丸までは足を運べなかったのですが。
とりあえずは、大手門・岡口門・追廻門は何とか見ることが出来ました。
どれも、なかなか荘厳な建物という感じでした。
ただ、追廻門だけが赤い色をした門だったのですが、これは何か意味があったような事を聞いた記憶があったのですが忘れてしまいました。
確か、東大の赤門と同じような意味だった記憶があるんですけどねえ。
何はともあれ、大阪のすぐ隣という事で、意外になかなか行かなかった城だったのですが。色々と楽しめる事が出来ました、

100名城の旅・その3〜高松城

今回の讃岐うどんの旅に合わせて、100名城探訪もやってみました。
ただし、時間の都合で高松城だけになってしまいましたが。
出来れば、徳島城丸亀城も探訪したかったのですけどね。

f:id:yaneshin:20090425143751j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090425144928j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090425150644j:plain:w160

高松城は別名玉藻城と呼ばれています。
この名を聞いた時に、とっさに思いついたのが鳥羽上皇に寵愛されたと言われる玉藻御前だったのですが、柿本人麻呂が讃岐の枕詞として使った「玉藻よし」から来ていることを初めて知りました。
鳥羽上皇に疎んじられて、やがては保元の乱によって讃岐へ流された崇徳上皇との繋がりを考えていたのですが、どうも深読みし過ぎたようですね。
残念ながら天守閣は現存しませんでしたが、櫓が幾つか残っていて、それらを拝むことが出来たのはとても良かったです。
そして、三大水城の一つに数えられるだけあり、堀に海水が引かれている現場も目の当たりに出来たのも楽しかったです。

f:id:yaneshin:20090425144457j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090425144730j:plain:w160 f:id:yaneshin:20090425144740j:plain:w160

あと、特筆すべきなのは披雲閣でしょうね。
江戸時代には政庁や城主の住居として使われた披雲閣ですが、現存する建物は大正期に元城主家の当主だった松平賴壽伯爵によって、私財を投じて建築されたものです。
中には入らなかったのですが、外観だけを眺めていてもなかなか壮観でしたね。
城郭内にこのような御殿が残されているのは、本当に少ないんじゃないでしょうかね?
都市のど真ん中で、侘びとか寂びなどという言葉をとても実感しましたよ。